gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

回想

成功した大人たち

会社を立ち上げてまだ間もない頃、神宮前のアースデイのイベントの会場設営に誘われて、ボランティアで参加した。グリッドフレームがいろんな人の目に触れることを目論んだのだ。会場設営には、たくさんのクリエイターが集まった。ほとんどがボランティアだ…

アスファルトの青

小学校1年生のときに、踏切の絵を描いたのを憶えている。そのとき、私はアスファルトを青のクレヨンで塗った。アスファルトは灰色だと言われたが、私は青いと感じていた。なぜなのか、わからない。けれど、それが子供のときにだけ持っていた感覚であったの…

体重計

目盛りは33キロを指していた。小学校4年生の私は柔道一直線の真っ最中だった。ある日、柔道のおじいちゃん先生がやせ型の私を見て、両親に対して「ちぃーとでよかけん、肉を食わせてもらえんでしょうか」とお願いされたそうで、苦笑いした両親はせっせと…

絵はいつ完成するのか

中学生の頃、毎週1回、油絵を習いに行っていた。おじいちゃん先生に、パンやコップや花の静物画を描くように言われた。その日、3時間くらい描いたら、画面に白いところはなくなった。先生が見に来られて、もっと塗るように、とおっしゃった。次の週、色が…

広がりのある風景 4

広がりのある風景 3

そこで、ある目的を設定する。見たままに描くことを突き詰めよう、と。それは、必ずしも写真のように描こうとすることではない。撮られた写真からは実際に見たものとはずいぶん違った印象を受けることが多い。たどり着きたいのは、今、目の前に在るこの風景…

広がりのある風景 2

その頃、私にとって絵を描くことは見たままに描くことだった。そのことが美と本質的につながっているのかどうかはわからない。そもそも美について考えたことなど、一度もなかっただろう。見たままに近づけようとして絵を描く。だが、見たままにはならない。…

広がりのある風景

中学生の頃、美術の授業の中で「広がりのある風景」という課題で絵を描かされた。私は、校舎の最上階から見える風景を、見たままに描いた。俯瞰して描くことが「広がりのある風景」と考えたからだ。Y君は違う考えで描いた。地面に立って、横に広がる田んぼ…

自覚症状なし

20歳の頃、アフリカの旅から帰ってたら、すぐにA型肝炎を発病した。即刻、大学病院に入院。初日のベッドに、「アフリカからこの青年は何を持って帰ってきたのだろう?」と興味津々な顔をして、たくさんの医者がやってきた。やがて、ただのA型肝炎だとい…

どれくらい世の中を見ているか

目の前の風景をじっと見る。10秒経って、目を手元にある白い紙に移す。紙の上で今見た風景を再現し始める。描けることがなくなるまで、決して顔を上げない。描き終えたら、顔を上げて、実際の風景と見比べる。こうすると、自分にはどのくらい世の中が見えて…

少し足りない

しばらくお会いしていないが、京都で学生だった頃から、10歳くらい年上のお坊さんと親しくしていただいている。20年近く前になるが、彼に「結婚はしないのですか」と尋ねると、「檀家さんが諸々の相談事でいつなんどき来られても親身になって対応できる…

愛犬レオ

高校生の頃、家に犬がいた。白い雑種で、名前をレオといった。レオはさびしがり屋の気持ちの優しい犬で、すずめが舞い降りてくると餌を食べるのをやめ、すずめたちに譲った。犬小屋に寝そべって、すずめたちが餌をついばんでいる様子を目を細めて見ていた。…

9月1日

夏休みが終わり、最初の登校日。宿題の工作を抱えて、2キロの道を歩く。つくったのは、エアコン(のつもり)。名前は「ゼネラルクーラー ワシワシ」。(この意味がわかる人は同世代以上だ。)クラスメイトがこの名前に爆笑した。なんてことはない。箱の中に…

私は正義の味方だ その後

10年前くらいにHP上の日記で「私は正義の味方だ」という文章を書いた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・場所はアメリカのスーパーマーケット 突然だったかもしれないし、予感はあったかもしれない 「全員その場で伏せろ!動くな!」 叫んだのは…

引越し

今日は引越し。子供の頃から何度引越しを経験しているだろう?父の仕事の関係で、平均2〜3年に一度引越しを経験した。その反動なのか、今は余程のきっかけがなければ引越ししない。今回は住んでいたマンションが建て壊しになるからである。その古さと、そ…

ガーベージショップ・ムッシュ

ガーベージショップ・ムッシュは江東区・枝川のリサイクルショップだった。建物はオンボロで、いたるところで雨漏りがした。10数年も前のことだ。グリッドフレームはここを拠点として始まった。空間材料としてのスクラップを集めにここを訪れたのだが、そ…

悪の大魔王

6〜7年前、当時のスタッフたちの間で私のことを陰で「悪の大魔王」と呼んでいたそうだ。いつも静かに笑みをたたえている裏では、何を考えているか分からない、ということだったらしい。悪いことを考えているかどうかは別として、何を考えているかなんて、…

17歳

17年前の午前4時、私はベッドから飛び起きた。そして、すぐさま机に向かった。グリッドフレームの元になるイメージが降ってきたからだった。机にメモしたのは殴り書きの「汚しうる美」。私はそれを自分のライフワークと直感した。イメージは一瞬鮮やかに…

小女郎さん

京都・吉田山中腹にあるバー白樺には、個性的な客が多かった。その最たる一人は、小女郎さんだ。(おそらく本名ではないだろうが、だれも本名を知らない)京都らしく着物を着ておられた。髪は肩より長い。細くて、背が高い。身長推定180センチの長身に、…

クリスマス会

小学生の頃、「クリスマス会」という言葉はキラキラと輝いていた。クリスマス会をやろう、と女の子に誘われでもしたら、きっと前日は眠れなかっただろう。だが、そんな記憶は一度もない。キラキラしたイメージだけで何度もクリスマスは過ぎていった。じゃあ…

通学路

小学校の通学路は、通る道が決められていた。確かアインシュタインは子供の頃、毎日別の道を歩いたと書いてあった。同じ道ばかりで発想が乏しくなってしまったのではないか、と思ったりするが、だからこそありありと記憶に残っていることもある。今でも通学…

選ばれないこと

小学5年生の頃、塚本道場という柔道の道場に通っていた。当時、全国大会団体戦(小学生の部)5連覇中という有名な道場だった。塚本先生は70歳を越えるおじいさんで、目がご不自由だったが、明治生まれの毅然とした方で、先生の存在を感じると、道場の空…

夢の中の旅

私の最初の海外旅行はアフリカのケニア・タンザニアだった。そのとき、アフリカという響きは、遠くにある世界の象徴だった。今でも、夢の中で旅をしているのは、どうやらアフリカである。国までは分からない。夢では、人も出てこない。ただ、荒涼とした大地…

放送部

小学校高学年のころ、放送部員だった。給食の時間は放送室に入って、好きなレコードをかけて、好きな文章を読んだ。今振り返っても不思議なくらい自由だった。読む文章は、放送室に置いてある本から選んだ。笑える文章をいつも選んだ。今でも覚えているのは…

発明屋

小学生のとき、別冊マーガレットの愛読者だった。二つ上の姉が毎号買っていたからである。その頃、こやのかずこ、という人が「あいらぶ湯」というシリーズを描いていた。銭湯を営む家の娘が主人公だった。そこに「発明屋」と呼ばれる変なものばかりを発明す…

最初の記憶

私の最初の記憶は、おそらく3歳くらいの頃に、自転車に轢かれた光景である。本当に見たものか、後でつくりあげたものか、定かではないが、自転車のタイヤが、私の額の上を過ぎて行ったイメージが残っている。道路は、砂利道である。水溜りがあった。そんな…

お化け屋敷

お化け屋敷の季節だ。高校時代、文化祭でお化け屋敷をやった。脅かされるのは嫌いだが、脅かすのは楽しい。私の役は、通路の横にしゃがんで隠れていて、歩いている人の足を突然つかむというものだった。恐がってくれる人もいたが、中には「痴漢〜!」と叫ぶ…

サーキットの狼

小学生の頃、漫画「サーキットの狼」に夢中になった。当時の大多数の子供が、この漫画によって、スポーツカーに憧れた。地方都市に住んでいたから、フェラーリ、ランボルギーニ、ポルシェに出会えることはほとんどなかった。そのような車を見かけて、写真でも…

ローラー・ゲーム

小学生の頃、土曜の午後は「ローラー・ゲーム」という番組を観た記憶がある。トラックをローラースケートでぐるぐる回りながらプロレスをする、という感じのショーである。なんだか、不思議な番組だった。なんじゃ、こりゃ?という感じで始まり、あっという間…

駄菓子屋にて

小学生の頃には、まだ駄菓子屋があった。甘納豆の小さな袋に1等から7等くらいまで書いた紙が入っていて、それぞれの賞品をもらえる、という当りくじ付の商品があった。いちばん立派な賞品の1等は1個だけ、2等は2個、3等は5個、・・・となっていて、…