gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

回想

爆破

ニューヨーク州バッファローで建築を学んでいたときに、工場の爆破による解体(1995年)を見に行ったときの写真を、http://gfdesign001.com (毎日のブログからの抜粋)のタイトルに使っている。数百メートル離れたところに人が集まって、工場の最期を見…

1964年、夏

自分がまだ生まれていない頃を回想するなんて変な話だけれど、その頃ぼくは母親のお腹の中に確かに存在していたのだから、なにも感じていなかったわけではないはずだ。10月開催の東京オリンピックへ向けて、日本中が湧いていたかもしれない。きっと暑い夏…

かけっこ

陽向がかけっこの練習をしたいという。6月14日(土)は、保育園の運動会だ。ようやく競争心に目覚めたのか、と親として喜んだが、どうやら外へ出たい口実だったようで、二人で散歩をして戻った。また、去年と同じように、ヨーイドンの合図があって3秒位し…

魁傑

ぼくが子供の頃のヒーロー、大相撲の魁傑が亡くなった。彼のどこにそんなに惹かれたのか、分からない。でも、言葉で説明する理由が見つからないことこそ、彼がいかにぼくにとってかけがえのない力士だったか、を表している。家族を愛することに、理由がない…

ウルトラセブン

陽向がウルトラセブンに夢中だ。「セブン、セブン・・・」というオープニング曲のレコードを、40数年前に父がぼくに買ってくれた。だから、陽向と一緒に歌える。まさか、陽向とヒーローを共有できるとは思っていなかった。なんだか、ぼくらは不思議な時代を生…

八代港

ぼくは確か、高校を卒業して、浪人生活に入るときに、この港でアルバイトをしたことがあるなあ。 ← 創造性の連鎖でつくる店舗デザイン:グリッドフレーム ← 五感に働きかける店舗内装デザイン:マテリアルス← 未来の町並みをつくるファサードデザイン:GFフ…

集める

京都で学生だった頃、バー白樺の友達の若きっちゃん(若吉)から土曜日に電話がかかってきた。「田中くん、あした空いてへんか?」このニュートラルな質問にイエスと答えてしまったがために、ぼくは日曜日、コエタゴを洗わされることになる。当時、若きっち…

九段会館

年に一度、夏に行われる日本武道館での全国柔道大会のために、小学生から中学生にかけて何度も福岡から東京へやってきた。その度に宿泊したのが、九段会館だ。東日本地震の際に、天井崩落の大事故を起こして以来、どのようになっているかを知らなかったが、…

未来

回想するときはたぶんいつも、未来について考えている。 あの人はよくこう言っていた。「ええ、ま、そいそい!」アクセントは頭の「ええ」にある。だんだんか細くなってきて、「そいそい」は宙に消えていく。気持ちが強いと「ええ〜」と伸ばされる。意味は「…

ウルトラQ

ウルトラQは、ぼくが幼稚園に入る前に放送していたウルトラシリーズの第1弾だ。もちろん、おぼろげな記憶しかないけれど、その不気味な印象は今も思い出せるくらいに強烈だった。モノクロの怪獣番組だからだろうか。幼児期に接したものには、なにか特別な…

バッファローの10月

ニューヨーク州バッファローに住んでいたころ、10月は足早に冬へ突入していく月だったという記憶がある。夜はどんどん長くなっていく。夏は遠い過去へ消えていく。ぼくは、バッファローの寒い冬が嫌いではなかったから、気持ちは暗くならなかったが、同級…

お化け屋敷

子供の頃、夜中のトイレへ行くのが怖かった。布団から出られず、仕方なく朝が来るのを待ったことを思い出す。そして、恐怖も人の限界点を明らかにするもののひとつだ、と思い至った。自分の限界点に行き着くことは、最もリアルな体験だと思う。だから、ぼく…

白馬

大学1回生の夏のバイトは長野県白馬村のペンションだった。その村でテニスサークルの合宿があって、終わったらぼくだけその村に残ってバイトをしたのだ。「白馬」という響きに惹かれたのと、それに、いかにも大学生らしいバイトをしたかったのだと思う。ペ…

夕立

規則正しい、ということは実は嫌いではないらしい。夏休みの暑い日の夕方、夕立が雷とともにやってきて、湿度の高い空気の塊を一掃するさまを、家の窓から眺める幸せは、夕立が毎日決まった時間にやってくる規則正しさと無縁ではなかった。ぼくは、その時間…

ぼくの小さい頃の思い出には、説明しがたいような怖さが伴っている。それは夢に出てくるような漠然とした空気感であり、色がない。セピア色と言えばそうかもしれないが、とにかくあいまいだ。高瀬泰司さんは「はったい粉とコスモス」の中で、子供の頃はすぐ…

レオ

熊本県八代市。久しぶりにこの土地を訪れた。30年前に、ぼくの両親が住んでいた土地。レオという名前の白い犬を飼っていた土地。 ぼくが帰省すると彼は喜んで跳びついてきた。いや、見知らぬ人が来ても彼は必ず喜んで跳びついてきた。番犬としては全く向か…

帰り道

小学生の頃、毎日のように柔道の道場からの新しい帰り道を探そうとした時期がある。とにかく通れさえすれば、それが家と家の間の塀の上だろうが、どこでも通った。時折、番犬に追いかけられたりしたような気もする。でも、世の中は今よりもずっとふんわりと…

4月初旬の雨

大学に入り、熊本から京都へ来たときの4月は、ちょうど今年のような雨の多い4月だった。まだ友人もなく、そのうえ暖房器具もなく、心も体も寒かったことを覚えている。新生活は、ハングリーな状態で始まるものだな、と思った。入学したら、しばらくコンパ…

ラベンダー

ぼくがラベンダーを知ったのは、ドラマ「北の国から」で富良野にスポットが当たった頃だったと思う。それまでぼくの脳裏に描く風景の色に、あのうす紫は存在しなかっただろう。10代後半で突然現れた色は、今もどこか距離を感じる存在で、ラベンダー畑はぼ…

コンタクトレンズ

ぼくがコンタクトレンズを初めてつけたのは就職してしばらく経ったときだった。その少し前に読んだ短編小説に、軽い近視の登場人物がコンタクトレンズをした途端、見たくないものまでが鮮明に見えて、気持ち悪くなって捨てた、というものがあった。見えすぎ…

恐怖

小さい頃、夢におびえたことはほとんどないが、それでも一度だけ出てきた怖いイメージが、今も脳裏に焼き付いている。それは、夢の中で夜の階段の踊場にふたりで佇んでいた。ぼくはそれが何なのか、はっきりと分かっていた。それは、祖父母の家のガラス棚の…

ぶらんこ

子供の頃、家の近くに神社があって、その階段の上り口に2台のブランコがあった。ブランコといえば、それを思い出す。ブランコは、大きく漕いで、そこからどれだけ遠くに飛び降りることができるか、を競い合うものだった。だから、静かに揺れていた記憶はな…

ケーキ

ケーキにまだバタークリームがのっかっていた頃、生クリームがのっかっているケーキを食べて、感動した。ぼくが小学生の頃だ。ケーキとはやわらかいものだ、と思った。小さい頃から、ケーキはずっと好きだ。けれど、ケーキで感動したのは、たぶんそのとき1…

飛行機

飛んでいるヘリコプターの灯りを見上げて、はしゃぐ陽向を見て、子供の頃はパイロットになりたかったことを思い出した。地平線の向こうの見たことのない世界へ行きたい。そこへ連れて行ってくれるものが飛行機だった。大人になるにつれ、気づいたのは、向こ…

予備校

予備校のエントランスの案件をいただいた。お話をうかがっていたら、自分が一浪の頃を思い出した。その一年間は、どこにも属していない、世間的には宙ぶらりんの時期とみなされる。だが、実は、宙ぶらりんな時期だからこそ、人間そのものが露出するときなの…

糀谷

東京モノレールから見える大田区糀谷にはかつて訪れたことがある。アメリカから日本へ帰ってきた1996年に、鉄屑(スクラップ)で建物をつくろうと、産廃業者に鉄屑の供給を依頼して回った。そのうちのひとつの会社が糀谷にあったのだ。イエローページに大…

開いていること

社会人になったばかりの頃、よくグループで遊んでいた。そのときは、男女10人くらいだったろうか、渋谷から浅草まで夜通し歩いて、みんなくたくたに疲れていた。最後に朝飯を食べて帰ろうと、残った5〜6人で吉野家へ入った。テーブル席が空いていたので…

かぶとむし

夏休みは家族で熊本の祖父母の家へ行った。そこからカブトムシやクワガタムシを捕りに行くのが楽しみだった。別に都会に暮らしていたわけではないが、クヌギ林がなかったのか、カブトムシを捕りに行くという遊びはなかった。熊本の実家周辺には、たぶんクヌ…

校歌

私は父の転勤によって、3つの小学校、1つの中学校、2つの高校に通った。そして、そのそれぞれの校歌を憶えている。それぞれが故郷礼賛的な歌である。その土地のごく小さな山や川が、まるで聳え立つ高山や大河のごとく歌われていて、素敵だ。そして、素直…

手をかざす

父方の祖母は、私が物心ついた頃にはリウマチで手足が不自由になっていた。夏休みに遊びに行くと、杖をついて歩く以外は、ベッドにいることが多かった。私のお腹が痛くなったり具合が悪くなると、私をベッドに呼んでくれて患部に手をかざしてくれたのをよく…