gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

回想

成人の日

ぼくの成人の日は、朝からDCブランドのセールで先頭にならんだのを覚えている。成人式には行かなかった。その4年後の成人の日。ぼくは、「極北の大河ユーコン」というテレビのドキュメンタリー番組を見て、アラスカへオーロラを見に行くことを決意する。次…

おもちゃ

プレゼントのおもちゃに対する子供のワクワク感は、今の自分の感覚には失われているように思う。外部から与えられるおもちゃは、突然空から降ってくるようなものだったから、自分が求めているものではない。けれど、だからこそ、それとの出会いを忘れられな…

ビール

最初にビールを飲んだのは、小学校3年のときだった。父方の実家で、祖父がキリンビールの瓶ビールを小さなコップに注いでくれた。「飲んでみるか?」と。立て続けに3杯飲んだ。酔っぱらって、その先は覚えていない。ただ、祖父はとてもうれしそうだったの…

大企業

ぼくは、グリッドフレームを立ち上げる前に、ある大企業に属していた。グリッドフレームの原案をアメリカの大学から持ち帰った私は、企業内で研究の成果を活かそうと、たくさんの会社の先輩たちにプレゼンした。それぞれによく耳を傾けてくださったことに感…

10年の時間

つくらせていただいたお店が10周年を迎えて、オーナーとお話をする機会があった。(つづく)

強くなること

例えば、小2で柔道を習い始めたとき、ぼくは他の人よりも強くなれるなんて思っていなかった。半年間、毎日のように通って、先生の言うとおりにやっていたら、試合をしたら勝つことがほとんどだった。そこには、強くなりたいという思いの強さとは無関係に、…

しょぼしょぼ

陽向の目が最近、しょぼしょぼしている。きりっと見開くことができていない。ぼくも小学校低学年の頃、一時期こんなことがあったのを思い出す。見開こうとすると涙目になってしまう、という不快な時期があった。いつか自然によくなったから、陽向もそうなん…

発明家

かつては、映画や漫画で発明家がよく登場した。ちょっと、コミカルで淋しい存在として扱われていた。荒唐無稽なものをつくり出しては、普通人にたしなめられる。そんな役柄だった。そんな人たちが今もいるなら、会いに行きたい。憧れの存在だ。 ← 創造性の連…

スローモーション

ぼくの時間が突然スローモーションになったのは、人生で2回あったように思う。それは、2回とも同じ状況のときに起こった。雪道で車を運転して、突然滑り始めて、蛇行しているときだ。1回目は、学生の頃、京都の北山の山道を走っていた。助手席には、同じ…

死を近くに感じるとき

死を近くに感じるのは、一瞬の先が予見できないときだ。 ← 創造性の連鎖でつくる店舗デザイン:グリッドフレーム ← コラボで実験しながらつくるオリジナル素材による店舗デザイン:マテリアルス実験工場

ストーリーテラー

ぼくは、26歳で建築の学生になったときから、つくられる空間は詩的でなければならないと思い込んでいた。そう思っていない人もいるが、お構いなしだった。そうでなければ、ぼくにとっての意味がないのだから。ぼくのプレゼンは、必ず詩的な言葉で構成した。…

ついてきた小犬

陽向に「冒険シリーズ」と題して、毎晩寝る前に、かつての一人旅の話をしている。小学校一年生にもわかる話に限っているが、いつも大笑いしてくれる。そもそも孫に「おじいちゃんは、若い頃にね…」と話せることが、旅の一つの目的だった。相手は息子だが、小…

負けないこと

「負けないということは、監督として采配する側から見れば、勝ちに等しいんだよ」高校の柔道部のときの監督が、卒業後ぼくに言ってくださった言葉だ。勝つか、引き分けるか、負けるか?柔道にはこの三つの結果がある。ぼくは、引き分けは多かったけれど、負…

冒険

陽向が寝る前に、ぼくの若いときの旅の話を「冒険シリーズ」として話し始めた。元々、年を取ったら「おじいちゃんは若いころにね・・・」と孫に話して聞かせたい、というのが、旅の一つの目的でもあった。息子に話しているわけだが、孫のときの練習かな?陽向は…

翳りゆく部屋

夕方、自宅へ帰ってくるなんて久しぶりだ。北西の窓から、陽が差し込んでいる。真っ暗な中にオレンジの陽が差す、コントラストの高い空間の美しさは、ずっと思い出の中にあるものと変わらない。どこでそれを見たのか、憶えていないけれど、小学生の頃だった…

3等分

小学3年生の頃、算数の授業の中で「折り紙を長さを測らないで正確に3等分に折れますか?」という問題があった。それぞれが折り紙を持って、しばらく試行錯誤をしたが、だれの手も上がらなかった。ぼくは、「正確に」という言葉が気になっていた。見た感じ…

1973年

1973年。オイルショックの年。この年を境にして、ぼくの中では歴史を新しいと古いに分けられている。全く個人的に、しかも無自覚的に定められた境界で、理由も上手く説明できない。ぼくの感覚的なものだといっていい。当時のぼくは、小学3年生。世の中…

宇宙

観念とはユークリッド幾何学の「広がりのない点」のように、経験的に表象することができないけれども、心の中で思い浮かべることができるものだ、という。偶像崇拝の禁止とは、つまり、神を表象するイメージを媒介として持つことを禁止し、観念として捉える…

ニューヨーク

ニューヨークの雰囲気を空間に求める人は多い。グリッドフレームのクライアントの中では、どの場所よりも多いだろう。ぼくもニューヨークを訪れる前から、憧れていた街だ。ボズ・スキャッグスの「トワイライト・ハイウェイ」という歌に、old new yorkという…

表情

ぼくが柔道を始めたのは小2の今の季節だった。佐賀県鳥栖市の警察署3階に道場はあった。一度目は親に連れて行ってもらったが、二度目からは1人でバスで通う。3階へ上るのはコンクリートの外階段で、上り口にチョークでらくがきがあったのを憶えている。…

BOSTON

ロックグループ、ボストンが流行っていたのは、ぼくが中学生の頃だったろうか。youtubeで久しぶりに思い出して聴いてみた。円盤型宇宙船のジャケットが懐かしい。間奏部分に特徴がある。むしろ、間奏がメインといってもいいだろう。その部分が一番記憶に残っ…

アフリカ時間

ケニアのラム島でアフリカ人と待ち合わせたときのこと。待ち合わせ場所で2時間待って、ようやく彼が現れた。文句を言うと、「来たからいいじゃないか」と逆ギレされた。そうか、確かになにもぼくは失っていないかもしれない、と思えたような気がする。これ…

図鑑

陽向は図鑑を見るのが好きになった。虫、恐竜、動物、植物・・・。その名前を知ることが、ある生き物に興味を持つことの始まりなんだろう。これから、その興味がどのように発展していくのだろう。名前は、すでに様々なイメージを纏っていることだろう。人間に対…

思い出の先生

思い出の先生は、小学校1年生の担任だ。村中記子(むらなかのりこ)先生だったと思う。といって、これという思い出があるわけではない。同級生のミカちゃんと休みに学校を訪ねたとき、確かアイスをおごってもらった。やさしくて、いつもぼくたちの味方だとい…

なわとび

陽向となわとびの練習。ぼくは小学校1年生の頃、なわとびが上手だった。母に聞いたら、その頃、一年中半袖半ズボンで過ごしていたから、冬の寒さを凌ぐために、ずっとなわとびをしていたらしい。陽向も来年は1年生。一年中、半袖半ズボンに挑戦しないかな…

花火

花火といえば、小学校の頃の、福岡・小郡市の花火大会を思い出す。家族4人で2〜3kmの田んぼ道を歩いて、宝満川の河原へ。同級生も家族で来ている。学校の外で会うとなぜか新鮮だ。出店で、りんご飴を買って、それを舐めながら、ゆったり河原に寝転んで…

控えの自分

そのときぼくらは、テナントビルの中に店舗をつくらせていただいていた。ぼくらの会社がまだ初期の頃の話だ。お店のオープンが迫っていて、スタッフ全員で連日の徹夜作業をしていた。深夜2時頃だったろうか。ひとりのスタッフが突然いなくなった。ある部分…

卒業

ぼくは卒業という節目をあまり大事にしてこなかった気がする。いつも、新しい始まりの方に気をとられて、過去をふりかえる余裕がなかったのかもしれない。感傷に浸るような気持ちになった記憶もない。いつも過去よりも未来の方が大事で、現在を未来のために…

ラーメン屋さん

ラーメン屋さんは汚い方がうまい、と子供の頃はよく言っていた。家族でよく行った久留米の丸星ラーメンなんて、器を持つおばちゃんの親指がスープの中に入った状態で運ばれてきたが、「それが隠し味」という冗談で済む時代だった。汚いラーメン屋さんが、と…

砂漠の少年

サハラ砂漠の北限は、少年の家の庭まで迫っていた。数年前まではオリーブの木がたくさん生えていたそうだが、そのときにはもう緑は数えるほどしか残っていなかった。近くに流れていた水路は涸れ果てて、彼らの生活は砂漠に押し流されてしまおうとしていた。 …