gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

サーキットの狼

小学生の頃、漫画「サーキットの狼」に夢中になった。

当時の大多数の子供が、この漫画によって、スポーツカーに憧れた。

地方都市に住んでいたから、フェラーリランボルギーニ、ポルシェに出会えることはほとんどなかった。そのような車を見かけて、写真でも撮ろうものなら、学校でスターになれた。

大人になったら、スポーツカーに乗りたい、と誰もが思った。

私がスポーツカーに感じていた魅力はなんだったろう?子供ながらに思ったのは、スポーツカーの魅力は、外観、性能、そして、ブランドがある、ということだった。

運転のできない小学生の自分にとって、一番どうでもよかったのは性能である。この外観なら、遅いはずがない。周囲がそう思えば充分だと思った。どうせ日本の公道では、120キロ以上では走れないし・・・。

ワクワクしていたのは、間違いなく外観である。流線型、という言葉にやられた。どうして流線型でない車がこの世に必要なんだろう?と真剣に思った。

自分が自動車会社だったら、エンジンは軽自動車並みでもよいから、形だけは流線型をつくるのに、と思った。今は流線型がかっこいいとは思っていないが、外観重視のこの考えは今も変わらない。

高級車と軽自動車で、目的地へたどり着く時間、違いますか?といつも思う。

車好きと呼ばれる人は「乗り心地」などを重視するのだろうが、私はそういうタイプではない。私なりの質実剛健の定義に関わっている。

ブランドについては、例えば、ポルシェと名がつけば、なんでもかっこいい、と思えてしまう自分を不思議に感じていた。いつも通る道に、ポルシェ914が止まっていた。それが、ポルシェであることにワクワクしていたが、同時に、これってかっこいいか?という醒めた視線もあった。

ブランド志向は、大学生の前半をピークに、急速に影を潜めて、今の自分にはほとんど残っていない。

このように振り返ると、スポーツカーに対して、どのように魅力を感じていたかということが、現在の自分の創造に対する姿勢につながっていることに気づいた。

環境・安全志向にあって、スポーツカーがどんどん姿を消している、というニュースがあった。大人になったら、スポーツカーに乗りたい、という子供も減っているのに違いない。