2010-08-01から1ヶ月間の記事一覧
ある企画の仕事で、「思いっきり楽しみましょう」とクライアントが仰った。「どれだけ楽しめるか」と、「どれだけいい仕事をするか」が比例するのは、どの世界も一緒だ。しかし、改めて、そう言っていただくと、心置きなくのめりこめる。一方では、「仕事と…
浅野忠信の存在感は相変わらずだが、どうも戦闘シーンのスローモーションなどのうそ臭さが、全体をうそ臭く見せてしまっているようだ。どうもこの手のいわゆる壮大な映画を撮る人たちは、大げさなシーンを迫力と履き違えているようで、ドン引きである。もっ…
1994年。デンマークの西北の海岸。「汚しうる美」を追究しはじめてから、それまで見過ごしていたいろいろなものが美しいものとして、目に入るようになった。かといって、主張してくるわけではない。無言でたたずんでいる。そのような存在。
10代の後半から20代前半にかけて、ある世界でめざましい成功をおさめる人がいる。成功をおさめている時期の彼らの表情は輝いていて、目は確信に満ちている。だが、そのような人の中には、20代の後半に入ってから、世界の頂点から滑り落ち、知らないうちに表…
陽向が突然泣き出す。そして、ずーっと泣き止まない。さて、原因はなんだろう?と妻と推理する。人間の行動には必ず原因がある、という信念がなければ、考え続けられない。名探偵に必要なものは、これである。ただ甘えてるだけなのかもしれない、という想像…
戸籍上の生存者が全国で続出している。本日のところの最高齢は186歳だそうだ。戸籍上で生き続けることになった理由はさまざまだろうが、どうでもよいことのようにほったらかしにされていたとしたら、なんとも寂しい。死んだということを、誰もが知らない…
1992年にスペインのセビリア万博があった。その3年後に万博跡地を訪れたときの写真である。スチールの建物に全く塗装を施していなかったのか、建物全体が錆びていた。錆びだれが周囲のアスファルトを汚していた。当時はもう廃墟になっていたのか、人の…
水俣病の8歳の女の子がいまわのきわに桜の花を見て、唇を動かす。 なあ かかしゃん かかしゃん しゃくらのはなの 咲いとるよう いつくしさよ なあ なあ しゃくらのはなの いつくしさよう しゃくらの なあ かかしゃん しゃくらはなの 母親は、娘の眸に見入っ…
昨年3月に舌癌で亡くなったロックシンガー川津誠司を紹介した番組をyoutubeで観た。 川の流れにのり どこまでも 浮いてはまた沈み まだ見ぬ海へ いつか流れ着ける そんな夢を見てるのさ 今でも (「川 〜river〜」) いいうたである。なによりも、真っ直ぐ…
アラスカ。スティーブンスビレッジ。1989年3月。この写真、昼のオーロラというわけではない。まだ少しだけ明るさが残る時間に見え始めたオーロラである。オーロラをカメラで捕えるためには、露光時間が8秒ほど必要だったから、まるで周囲が明るいかのように…
私の最初の記憶は、おそらく3歳くらいの頃に、自転車に轢かれた光景である。本当に見たものか、後でつくりあげたものか、定かではないが、自転車のタイヤが、私の額の上を過ぎて行ったイメージが残っている。道路は、砂利道である。水溜りがあった。そんな…
神宮外苑を通って家へ帰る。昨日の花火大会は人でごった返していたが、今日もそこそこたくさんの人がいる。よく見ると、すべて女性だ。妻に聞くと、明日はアイドルグループのライブが国立競技場で行われるとのこと。会場では、前夜のリハーサルが行われてい…
神宮の花火大会は、会社から目と鼻の先で打ち上げられる。だが、ビルや木が多くて、花火全体を眺めることができる場所は未だに見つからない。いつも音だけを聴きながら、人混みを歩く。それが、神宮の花火大会である。それでも、嫌いではない。
照明の世界は、白熱球からLEDに移行しようとしている。タングステンが燃える光と、LEDの発光との質の違いは大きく、比較にもならないくらい白熱球を支持する私は、まさか自分がLEDを内装の主要な照明に用いるようになるとは、今年になるまで想像も…
子供の頃は、極端に言えば、ジュースといえばファンタしかなかった。食料品店へ行けば、欲しいものはファンタだけだった。そして、ファンタを飲めば、幸せな気持ちになれた。今、のどが渇いてコンビニへ行くと、たくさんの種類の飲み物が私を待ち構えている…
妻は、生後6ヶ月の陽向に対して、「陽向に生かされてる感じがする」と言う。一時も目を離すことができない赤ん坊は、もちろん守るべき存在なのだが、同時に赤ん坊によって守られている感じがするというのである。妻ほど、それを強く感じているかどうかは分か…
あるプロジェクトの提案で、「まわる」というテーマで一日中考えていた。簡単なようで難しいテーマである。例えば、ドアをつくるとき、丁番を使うか、軸を使うかでは、まわるイメージが全く異なる。軸を使う場合のまわるイメージの方が、圧倒的に美しい。鉛…
子供は甘いものを好み、苦いものを嫌う。では、すっぱいものはどうか?例えば、梅干を食べたとき、否応なしに、すっぱい顔になることがある。味覚が発達していない人間にとって、すっぱい、という味覚はネガティブなものなのかどうかは、わからないことの1…
子供の頃、私のヒーローだった魁傑が30年以上を隔ててトップニュースに返り咲いた。日本相撲協会の理事長に選ばれたとのこと。派手さはないが、美学が漂ってくるような力士だった。左ひじのけがをしても、決して休場しなかった魁傑はテレビの中で負け続け…
赤ちゃんのまま18年間成長をしない人の話を紹介する番組があった。番組にゲストで呼ばれた10代の女の子のそれに対するコメントは、番組の後味を悪くした。「自分はなんて幸せなんだろう、と思いました」もちろん、この女の子を責めるべきではない。責め…
お化け屋敷の季節だ。高校時代、文化祭でお化け屋敷をやった。脅かされるのは嫌いだが、脅かすのは楽しい。私の役は、通路の横にしゃがんで隠れていて、歩いている人の足を突然つかむというものだった。恐がってくれる人もいたが、中には「痴漢〜!」と叫ぶ…
ナイアガラ・オン・ザ・レイクは、ナイアガラの滝をカナダ側へ渡って、車で30分ほどナイアガラ川沿いを下り、オンタリオ湖に流れ込む場所にある、おとぎの国のような、かわいい町だ。日本で言えば、軽井沢や清滝のような町だ。いわゆる観光地である。バッ…
子供の頃から、原爆記念日の新聞記事の見出しはなんとなく憶えている。「平和への願い 再び」など、あまり変わり映えのしない見出しが毎年続いていたように記憶している。核廃絶は遠い夢の話のように感じていた。原爆の日から65年が過ぎて、ようやく核廃絶…
妻の親戚の家を訪ねた。山に囲まれた土地に、84歳のおばさんが、一人で畑を耕して暮らしていた。大きな声で豪快に笑い、腰は曲がっているが、部屋の掃除は行き届き、そそくさと動いてジャガイモと瓜のつけものをたくさん袋に詰めてくださった。陽向を抱え…
昨日のブログに、かつてどこかで時間を共にした人々と、またどこかで会えるのは、ほんの一握りに過ぎないと書いた。では、もう二度と出会うことがないのであれば、その人が現在、生きているか、死んでいるか、ということは重要ではないことだろうか?もちろ…
20歳ごろまでは出会った人のすべてと、また会う約束をしなくとも、いつかどこかで会えるだろうと思っていた。海外で地図のない旅をしながら出会った人々に対しても、やはりそう思っていた。だから、別れるときに「また会おう」という言葉は、ただのお決ま…
世の中には、自由に表現することが難しい人物がいる。ヒトラーはその代表的な人物だろう。この人の命令により、あまりにも多くの命が失われたからである。遺族も相当な数に上るだろう。その人たちの巨大な憎しみを前提として、彼を表現しなければならないが…
物心ついてから、堆積されてきた記憶に、霞がかかり始めたのはいつごろからだろうか。記憶は古い順に消えていくわけではなく、ある時期の記憶だけがぽっかりと穴が開いたように消えてしまっていることがある。私はそれらを忘れる必要があったのだろうか。単…
数年ぶりにグリッドフレームを訪ねてくださったYさんは、町おこしのプロジェクトを推進しておられることを愉しげに語られた。ある小さな町の未来をつくるために種をまき、育てる。そこに人生を賭けることの充実感が表情にあらわれていた。価値のあるものを…
昨日、父が喜寿を迎え、今日、母が70歳を迎えた。母は40歳になった日も、「自分が40歳だなんて信じたくない」と言っていた。50歳のときも、60歳のときも、同じようなことを言っていた。今日も同じような気持ちに違いない。父は誕生日について、あ…