焦土。焼野原。
焦土と呼ばれる場所をこの目で見たことがかつてあっただろうか?テレビや映画ではたくさん見てきた。この写真をメールすると、妻から「ガザかと思った」と返事。
ぼくはかつてスクラップヤードを「誰が来てもおかしくない」空間だと感じた。そこにはもちろん混沌があった。他に、混沌があるものとして、例えば祭りがある。祭りも「誰が来てもおかしくない」空間だろう。
さらに混沌には、こういう焦土がある。被災地。戦地。これらには、不幸がまとわりついている。
だが、これらそれぞれを絵に描くとどれも同じようになる。
ならば、このような不幸がまとわりつく世界を、誰が来てもおかしくない世界に変えることはできないだろうか。
熱で溶け落ちたフロントガラス。
遠景。
近景。切り取り方で、伝わり方も変わるはず。
震災後につくられた骨組を通して見る。
しばらく歩き回っていると、過呼吸になっている自分を感じる。自分に圧力が押し寄せてくるように感じる。だが、それも自分がそう感じているだけなのか?
まだ、明確な答えは見えないけれど、目標はできた。あとは試行錯誤を繰り返すだけだ。