2023-05-01から1ヶ月間の記事一覧
陽向の発語には、表題の3つがあると、妻が説明してくれた。 外言語とは、普通に交わされている人と人とのコミュニケーション。 内言語とは、自分の中だけで考えた独り言。 チックは、考えることを介さない衝動的な発語。 これら3つを聴き分けて、それぞれに…
陽向が家にある時計を壊す。壊れた時計をぼくが修理する。陽向がまた壊す。ぼくがまた修理する。。。。 こんなことが続いている。陽向は他の機械には手を触れない。壊すのは時計だ。 きっと壊したい理由があるのだろう。 彼は、時間についての概念を身に着け…
陽向が衝動的に人に迷惑をかけてしまったことについて、「反省してるか?」と問うと「反省してない」と答える。 びっくりして「じゃあ、またやっちゃうかもしれないってこと?」と問い直すと「うん、やっちゃうかもしれない」と答える。「できるだけやらない…
視界の果てに見える水平線のことではなくて、造船所の壁につく横一線の塩のラインのことを表現する言葉を探すのは難しい。 これを海水と空気の境目と呼ぶのはどうだろう。水際のラインと言った方がよいか。 思い描くイメージは、コンクリートの防波堤につく…
19時過ぎに陽向と四谷辺りを走っていたら、陽向を見失ってしまい、探しながら来た道を家まで戻るが見つからない。 その後、21時を過ぎても帰ってこないから、自転車で探しに出る。22時過ぎに、警察から電話。自宅から10キロ離れた本郷で保護されたと…
千葉県鋸南町での作業。着物の帯をイメージしながら、作業し、雨や海風に晒し、また作業する。
工業生産品のあるボードは、手作業を加えることによって、こんなに魅力的な壁になる。 生産されたときには意図されていない美を、発見し、手作業により実現する。 つくる側の喜びとは、こんなところに在ると思う。
さわやかを絵に描いたような紫蘭。咲き終わりなのか、風にたなびくように伸びた茎には一輪ずつの花がついている。歩道の方に伸びてくるなんて、なんと礼儀正しいんだろう。
ゆったりと時間をかけて、手づくりの壁をつくる。
曲げ加工された鉄板を、SOTOCHIKU&89で塗装し、雨と海風に晒す。 そのやわらかな表面。
近所の手入れの行き届いた植物の中に、突然その中に埋もれてみたい、という衝動を覚える。それは、やわらかなベッドのような緑だった。 田中一村が奄美大島で出会った感覚も、ゴーギャンがタヒチで出会った感覚も、これに似たものではなかっただろうか。・・…
アクアラインの橋から眺める海の風景が好きだ。遠くに陸を見ながら、小船や、養殖の棒や浮きが並ぶ内海の静けさ。
1994年だったろうか?ヨーロッパは記録的猛暑と言われる中、オランダ・アムステルダムから出発して200キロほど歩いたことがある。 ぼくは地図を持たないで歩いた。地球上でどこを歩いているかわからない、という状況を体験してみたいと思ったからだ。つまり…
陽向にいろいろと問題を出すと、陽向は一人称、二人称で考えることはできても、三人称で考えるのは苦手だ、ということが分かった。 陽向とぼく、が主人公の数学の問題は解けるが、主人公を、AくんとBくん、に換えると途端に解けなくなってしまうのだ。 数学…
1979年。ベット・ミドラー主演。 ベット・ミドラーは不思議な女優さんだな、と思っていた。まず、美人という言葉とはあまり関係のないところにいるのに、絶大な人気があること。アメリカにはそういう人が他にもいるけれど、この人は他の誰とも違うように…
ぼくはこの草花の名前を知らない。 菜の花のように、花がスッと立ち上がるようなカタチの美しさは、このように花が空を背景としたときに際立つ。
富山頂上付近の石段。2010年まではこの上に仁王門があったのではないか、と思われる。 今は麓の寺に下ろされて、頂上まで来る人はずいぶん減ったらしい。 でも、上る人が少ない山だからこそ、ぼくら家族はこの山が好きなのだ。 富山は、ほっとする山だ。
富山の登山道沿いに、見事に露出した木の根がある。 ここにテント地をかければ、下で寝ることができるかもしれない。
地蔵には石蕗(つわぶき)の葉が似合う。 むろん蓮の大きな葉を連想するからだろうが、蓮は池に在るものだから、石蕗はありがたい存在だ。
南房総市・富山の登り口にある福満寺の仁王門を眺める。 阿形像、吽形像は赤く塗装されている。が、塗装は必要だろうか、と考えてみる。 できれば塗装はしないほうがいい、というのがぼくの基本的な考えだ。 たぶん、塗装をしなくても空間は成り立つ、と思う…
エキスパンドメタルのドブづけメッキに、縦の方向性を出したくて、塗装をしてみたが失敗。 もっと少なく、さりげなく、自然に。
太陽がまぶしくて、周りが見えなくなるときがある。 ぼくは、そんなときには周りと同時に自分もいなくなるのを感じる。 ぼくは、いつもと変わらずここにいるにも関わらず、自分を発揮できない。 つまり、役立たずになるのだ。 そんな時間はなんとか、誰にも…
マンションの外床でじっとしている蛾の羽の模様に、ハッとさせられる。 蝶よりも劣っているかのように扱われている蛾だが、不思議なことだ。 ほとんど動かないので、蝶よりも観察しやすい。 ぼくの前にいてくれて、ありがとう。
皇居を何百回も走ってきたけれど、ロラン・バルトの「表徴の帝国」(1970)で書かれた、何もない中心であることは、そこでポジティブに書かれているように、やはり心地よく感じる。 やはり心を惹かれるイスラム教国によく見られるコートヤードも、中心は…
文京区を陽向と走る。 実は、今日は登山に行くはずだったから、できるだけ高い所へ行こうと、坂があれば上りつづけて、ここへたどり着いた。 ここは、公園の小山。頂上から見下ろすビューも悪くない。
例えば、ランニングのときも、周囲に誰もいなければ「がんばれ、トシロウ!」と呟いたりする。 ぼくの年になって、そんな奴はいないかもしれないが、それで「もうちょっとがんばろう」て気になるんだから、やめるわけにはいかない。 今日も、たぶんどこかで…
今まで気づかなかったことがたくさんあることに気づく。 これを気づいてあげられなかったこと、とは書かない。 できなかったことを後悔するのを美徳と勘違いすべきではない。 そんな余裕は1ミリもない。 気づいた今、何ができるか、に全力を傾けるだけだ。
写真家・宅間國博さんから「写真と言葉を自由に使用してもよい」という許可をいただいた写真集「ペンキのキセキ」(2017)。 実は、この写真集の元は1991年に自費出版された大判の写真集「Rebirth」にあって、この風雨や太陽に晒された壁や扉や地面など…
recursiveは回帰的という意味らしい。安富歩氏は、グレゴリー・ベイトソンに倣ってほぼすべての事象の因果関係はlinearつまり線形的ではなく、回帰的であるという。 線形的とはA→B→C、回帰的とはA→B→C→D→A。たくさんの人は線形的な考察により、Aの事象を解決…
作業されたのは、クライアント。SOTOCHIKUの床。撮影:三崎陽行