2019-07-01から1ヶ月間の記事一覧
隆起した大地に上方から見下ろされたときのあの圧倒されたような気持ちにぼくらは背中を押されることがある ぼくらが実のある活動をしようと軽やかに自由に動きまわるにはどっしりと重い不動の大地が必要だ 与えられた空間が軽すぎると逆にぼくらの足取りは…
今、YouTubeを使って、商品のレビューをして、それを売る、というサイトを立ち上げる人が次々に成功しているらしい。 ぼくもそんな動画を見て、商品を買ったことがある。 売れそうなものを探して、その魅力をわかりやすく伝える術を持っている人がお金持ちに…
ディズニーランドの擬岩を、すごい、と喜ぶ人がいる。 ぼくは昔ほどそれを真っ向から否定するつもりはないが、その予定調和的な存在をありがたいとは思えない。 ぼくらも空間の一部をわざと汚したりして雰囲気をつくってきた経験はある。それはディズニーラ…
お店をやっていくのはとても大変な事業だということを20年以上やってきて、ぼくらはよく知っている。 そのような見地に立って、ぼくらは熱量の高い提案を心掛ける。ずっと長くやっていくための基本空間として。 だが、クライアントによっては、お店の運営に…
満月の九十九里浜は、大潮だった。夜中、砂浜へ妻と二人で行くと、いつもとは全く違う風景が広がっていた。 ずっと沖の方まで、は砂漠のように砂浜が続いていて、暗さも相まって、いつもの場所とはとても思えな不思議な瞬間だった。 陽向が生まれてくる少し…
ぼくらのつくる空間に対して、表題のような印象を持ってほしい、と心から願う。 そう思ってくれた時、その瞬間、その人は何ものからも自由になっている。
ぼくらは、どんなものに出会ったときに、自分の背中を押されたと感じてきただろう? その瞬間に雷に打たれたように背中を押されたという人は、とても少ないだろう。 きっと、後で思い出したときに、あの時があったから、今の自分がある、と不確かさも交えな…
グリッドフレームがずっとプロダクトに手を出さなかったのは、大量生産ではベンヤミンの言うところの「アウラ」が失われてしまうと思ったからだ。 ぼくたちの言葉でいえば、「アウラ」とは、「とりかえのきかなさ」である。 けれど、それを失わずにつくる方…
陽向は、憑依したかのように、メソメソしている状態から頼もしい状態へ急に変わる。 日曜日に、新宿御苑を一緒にランニングしていたときにそれは起こった。 1周目3.4キロはメソメソ状態で、無理やり走らせたが、2周目に入るといつの間にか表情が変わってい…
ぼくは見ることができなかったが、陽向の柔道のデビュー戦は、敗北だった。相手は、背の大きな女の子だったという。 さすがに悔しかったようで、夕方会うと、柔道の技について、ずっと話し続けていた。 ぼくの初試合の記憶は全くないが、とにかく試合は愉し…
「生産性で人を測らない世界」 ぼくらが言う、とりかえのきかない世界とは、まさにこのような世界だ。 れいわ新選組の理念に普遍的なものを感じて、応援していた。 うれしかったのは、その理念に、多くの聴衆が同意して、一緒に未来を見ていたことだ。 結果…
昨年の夏から秋につくらせていただいた西荻のPizzeria da Marco。 空間に作用した時間の及ぼす力を感じられる。 オーナーの細田さんの迷いのない所作と相俟って、とりかえのきかない世界をつくり出している。
茅場町のHacoa Villageで、Greficaの国分さんが講演されたので、聴講してきた。 国分さんのアクティブな活動の背景には、反対の、ひきこもりの時期があることを知ることができた。トンネルを抜けた人は、強い。 興味深かったのは、植物と会話ができる、とい…
世界の人々ひとりひとりが、理想的な世界の姿を共有することが、公共教育の土台となるべきだろう。 だが、それについて世界各国のトップが集まって話し合うことはないようだ。カントのコスモポリタニズムに端を発してつくられた国連でもたぶんそんな話はなさ…
ものと向かい合い、手描きでそれを紙の上に再現する。 写実でもいいし、抽象でもいい。 例えば、子供のやさしい表情を描こうとする。その瞬間の、描いている人の心のやさしさをぼくは信じることができる。
マンションの裏側の大木が切られて、残念な思いをしていたが、その代わり、ベランダに陽射しを受ける時間が増えて、鉢植えの植物たちが元気に育っている。 これがアニミズム的なのかはわからないが、精霊はあらゆるものに宿っているようにぼくには映るから、…
森敦「意味の変容」において、内部-外部の境界は、外部に属している、とある。 例えば、会社の大きさは、外部からのみ言えることであって、内部には境界が属さないから、内部から見るとき、その大きさはどの会社にあっても無限だ、という。 この認識が正し…
社会のさまざまな虚像に気づくのは、どれぐらいの割合の人だろう? そして、それを変えようと思う人と、あきらめる人の割合はどうだろう? きっと1000人に1人くらいも、変えようとする人はいないのかもしれない。 1億人のうちだったら、10万人だ。 変える方…
タイトルは、れいわ新選組の山本太郎の言葉。 10人の候補者は、それぞれその言葉を実践しようとしている人たちだ。 生産性で人間の価値を測らない、とは、つまり、それぞれの人の「とりかえのきかなさ」を見つめる、ということだ。 生産性を見ない、というこ…
夜明け前に東の空へ続く坂を上る 太陽はもうすぐ目覚める頃だ 少し乱れた息とともに 灯りの消えた店にたどり着く 黎明の薄明りの中で 周囲の家のつくりとは異なる外観を 今日も少しの間眺める かすかに色を帯びた壁から 息遣いが聴こえてくるかのようだ 目を…
れいわ新選組の候補者として安富歩さんを初めて知った。 選挙運動に馬を伴うこと、女性装であることなど、型破りだが、自然体でそれができていることに、むしろ誰よりも人としての安定感が伝わる。 人間を動物として見るところまで視界を広げることで、この…
新しい考えを構築していくのには、 アナログ的つまり微分可能曲線を描く日常があって、 そこへ特異点としての外部がデジタル的に出現し、 そこに微分可能曲線を届かせることができるか、 が外部を自分の思考に活かせるか、ということに等しいと思われる。
求められていることは何か。 ぼくたちがつくらせていただいたお店は、それぞれにその問いに向かい合って、奮闘されている。 ニーズと能力。 重なり合う部分を探して、静かに実行する。あきらめず、継続的に。 そのあとに、新しいニーズと新しい能力が生まれ…
空間はモノとモノの間であり、空間をつくるといったとき、直接的ではない。 つくるのはモノであり、空間はその結果としてできあがる。 社会が近視眼的になってくると、空間の話がピンと来なくなるのは、道理なのだろう。 想いを馳せる時間がなくなっている。…
妻の実家への久しぶりの帰省を兼ねて、函館マラソンを走った。 相変わらず、走り込みが足らなくて、後半に大幅なペースダウン。4時間14分。 30キロまでは楽に走れただけに残念だ。 いつもペースダウンすると、自分を責める気持ちが強いけれど、たぶん根性の…
陽向の猫アレルギーが発症して、猫のいる家から外のテントへ避難。 陽向のみならず、家族3人はぐっすり寝て朝を迎える。 ひょっとしたら、安全さえ確保できれば、家はいらないんじゃないか、と思ったりもする。 そう考えれば、生きていく方法の種類は格段に…
とりかえのきく世界、きかない世界 グリッドフレームのつくる空間は、そこにいる自分がとりかえのきかない存在であることを思い出させてくれるのは何か、と問いかけます。 「ビジネスの世界では、人を手段として見ることを避けられないので、自分をとりかえ…
SOTOCHIKU(外築) 一般的に、新しく空間をつくるときは、新品の建材を用いてできた後もできるだけ新しいままを保とうとする。つまり、無意識のうちに、未来へ向かって閉じている。 一方、SOTOCHIKUでは、外で雨風に晒された壁など、屋外の自然環境のなかで…
具体的に、どのようにしてそんな空間をつくるのでしょう?その仕事の進め方はとてもユニークです。 「創造性の連鎖」と呼ばれるものづくりのシステムと「SOTOCHIKU(外築)」と呼ばれる時間を刻み込んだオリジナル素材の利用という二つの方法があります。 創…
「「片方に開く空間」をつくりたいと思ったのは、学生時代の旅の経験に始まっていると思います。」 学生の頃に、長い休みの度にひとり旅に出かけて、海外27か国を歩いたそうだ。 「トルコのカッパドキアという奇岩に横穴を掘って最近まで人が暮らしていた場…