gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

最初の記憶

私の最初の記憶は、おそらく3歳くらいの頃に、自転車に轢かれた光景である。本当に見たものか、後でつくりあげたものか、定かではないが、自転車のタイヤが、私の額の上を過ぎて行ったイメージが残っている。

道路は、砂利道である。水溜りがあった。そんなところで仰向けに転んで、曇り空を背景に、自転車のタイヤが目のすぐ上を走っていったというのだから、悲惨極まりない。

が、おそらく母は、そんなことはなかったというだろう。きっと母が正しい。

なぜなら、その記憶が正しければ、それなりのケガをしただろうから。泣いた、という記憶はあるが、痛かった、という記憶はないのである。

さて、先に、悲惨と書いたが、実はそれほど悲惨ではない。なぜなら、その記憶が万が一正しかったとしても、それは事故に過ぎなくて、その周囲にいる誰にも悪意がないからである。もし、最初の記憶に、誰かの悪意が含まれていたとしたら、それこそ、悲惨な記憶だろう。そのような記憶が、最初にならなかったことに感謝したい。

事象の記憶としては、上記のものが最初だけれど、空気感としては、もっとそれ以前からぼんやりと思い出せる。なにか、やわらかくて、静かで、やさしい空気。ふんわりと私を包み込んでいた。

実は、その空気感の方が、今の私を形成するのに大きな役割を担ったと思われる。

生後6ヶ月の陽向の中にも、今、身の周りで起こっていることのうち、何ひとつ事象としては記憶に残らないだろう。だが、きっと空気感として、彼の将来を支える大事な何かとして残ることを私は知っている。