gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

2010-01-01から1年間の記事一覧

2010年を終えて

忘年会でスタッフ003に、「いつも年末は1年を振り返って、今年もスキルアップしたぜ、とか思うわけ?」と訊いてみると、「いや、どんどん右下がりって感じです」とか答えるから、おどろいてその意味を訊いてみると、「目の前の壁が毎年どんどん高くなっ…

アーティストのアトリエ

20世紀の巨匠と呼ばれるアーティストのアトリエを撮った写真集がある。よく整理された部屋もあるし、多少散らかった印象の部屋もある。この本には出ていないが、画家フランシス・ベーコンの部屋は床に絵具など様々なものが積み重なるくらいに、足の踏み場…

食べるということ

ハイハイができないため、車のおもちゃにたどり着くことができなかった陽向が、ぐしゃぐしゃな顔をして泣いている。いかにも敗北者という顔をして、みじめな様子で、抱き起こして食卓に座らせても背中は丸まったままだ。そこにおじやを掬ったスプーンを近づ…

眠れぬ夜

夜中、寝入ってから2時間もしないうちに、目が覚めてしまうときが時々ある。体は疲れているのに、頭は覚醒している。コントロール不能に陥ったときは、無理に寝ようとはせず、自然に任せる。起き上がり、書きものを始めることもあるし、本を開くこともある…

映画 誰がため

デンマークにナチスが侵攻した時代のレジスタンスを描いた映画である。この時代について、デンマークは世界史の授業に登場しなかった。デンマークは、国家的にナチスを受け入れたため、戦闘状態にはならず、周辺の他国に比べると戦争犠牲者も極端に少ないら…

ふきのとう 赤い傘

赤い蛇の目の 傘をさして それはまるで絵のように あの人が 私を振り向く (赤い傘)京都の大学に通っていた頃、この歌のような美しい風景を見たくて祇園の町を歩いたことがある。(もちろん、そんなに都合よくはいかない)ふきのとうの歌詞は、曲の始まりが…

ハナミズキ2011

11月くらいになると、GFオフィスのハナミズキが来年のつぼみをつける。来年の花の数は、その時点で決まる。そして、このくらいの時季には葉っぱがほとんど落ちてしまって、つぼみの数を数えられる。とはいっても、昨年は7個。何度数え直しても、7個しか…

クリスマス会

小学生の頃、「クリスマス会」という言葉はキラキラと輝いていた。クリスマス会をやろう、と女の子に誘われでもしたら、きっと前日は眠れなかっただろう。だが、そんな記憶は一度もない。キラキラしたイメージだけで何度もクリスマスは過ぎていった。じゃあ…

魔法の言葉

「こんなに楽しいんだったら、もっと早くに産んどけばよかった・・・」陽向を見つめながら、妻が語る。冗談交じりではあるが、妻の幸せは、後悔めいた表現を纏いつつ、語られる。「いや、いろいろ大変だったし、無理だったよね。大変だったもん。・・・」直後にこ…

父が逝く 7

30年前に祖父が逝ったとき、私が怖れた唯一のことは、いつか祖父の声を忘れてしまうのではないか、ということだった。30年過ぎても、私は頭の中で祖父のハスキーな声を明確に再現できる。音はなくとも、亡き人の声は聞くことができるのである。それも、…

いいとこ、見せんといかん

陽向のベビーカーを押して、新宿御苑の中をジョギングする。息が切れると、ひとりで走っていたらすぐに立ち止まってしまうが、陽向と一緒だと頑張らざるをえない。最後まで走ってしまう。「いいとこ、見せんといかん」という気持ちから来るパワーである。今…

無差別傷害事件

毎年数回は起こる無差別傷害事件は、単純にいえば、「生きていても楽しいことないから、人でも傷つけて、マスコミに騒がれてから死んだろ!」みたいな事件である。報道の内容からは少なくともこのような事件だとしか思えない。つまり、キーワードは「マスコ…

手を伸ばして

振り返って陽向の方へ目をやると、今も自分のつかみたいものをつかもうとして手を伸ばしている。あそこじゃ届かないなあ、と思いつつ仕事に戻る。けれど、次に振り返ったときには、もうそれを手にしている。きっと、ぼくらもそのようにして生きてきたのだろ…

エッシャーの階段のように

エッシャーは20世紀に様々なトリックを駆使してだまし絵を描いたことで知られ、建築の世界でもよく参照される。長時間、赤ん坊をあやすときに必要な工夫は、エッシャーのだまし絵の階段ように、相対的に少しずつ楽しさが増していくような遊びをいくつか用…

映画 茶の味

石井克人監督作品。「茶の味」とは、日本において共有される「なんかよいもの」の象徴であろう。田んぼの小道を全速力で駆け抜ける学生服の少年。田園風景と川と鉄橋。この風景から映画は始まる。いい絵だなあ、と思っていると、いきなりCGが出てきて、少…

専門バカ

私たちの大半はそれぞれの一生の中で、自分にとっての専門分野だけを知り、その他はさほど知らない中で一生を終える。専門分野以外についても知る能力を持っていたとしても、そこまでは手を出すことは少ない。逆にいえば、それでも生き抜くことができる。必…

共同体

私は、1990年代に柄谷行人の70年代・80年代の著作を読んで、影響を受けた。共同体と共同体の間に立つこと。外部的であること。そんなことについて、目の覚めるような鋭さで書かれていたのをワクワクしながら読んだ。共同体は、いつもネガティブな位…

父が逝く 6

父が会社の仲間を毎日のように家に連れてきたことがあった。母はあり合わせのもので酒の肴をつくり、客たちは遅くまで飲んで歌った。私はまだ小学生で、おじちゃんたちの膝の上で、演歌に合わせて手拍子をとらされたことを憶えている。今ふりかえれば楽しい…

東京仕事百貨

明日から、「東京仕事百貨」という「生き方を探す人の仕事探し」のHPで求人する。http://shigoto100.com/このサイトを運営されている中村さんからはいろいろと学ぶところがあった。おかげで、グリッドフレームやマテリアルスが今後どうあるべきかが見えて…

行きたいところ

27カ国旅をした私は、「次はどこへ行きたいですか」と訊かれることがある。次に行きたい国は、特別にはない。同時に、どこへでも行きたい。できれば、そこで必要とされたい。ずっと、そんな人になりたかった。

映画 蛇いちご

西川美和監督作品。とても疑わしいけれど、この人の言うことは、嘘なのか、本当なのか?10年前に家出をし、詐欺師生活を続けてきた兄と、真面目に小学校の先生をしている妹。10年ぶりの再会は、兄が香典泥棒のために忍び込んだ葬儀場で、実の祖父の葬儀…

父が逝く 5

父が事故に遭った場所は、自宅から2〜3キロ離れた場所だった。父は、会社のOB会で陽気に酒を飲んだ帰りだった。タクシーで帰ってきた父が、なぜ、家までもう少しのところで、しかも周囲にこれといって何もない暗い通りで降りたのか、分からない。父には…

のりぴーの出版

電車に乗ると、広告にのりぴーの顔がいくつか載っている。何かと思えば、本を出したとのこと。犯罪を犯して、それをネタにまた商売をしようというのだ。どこぞの出版社がもちかけて、ゴーストライターがこなれた文章でちょこちょこっと仕上げる。そんな本の…

父が逝く 4

17年前、私はアメリカに留学中だった。その頃、両親がそこへ遊びに来たことがあった。3人でアメリカのいろんな場所を車で旅した。広大な景色の中で、何度も感嘆の声を上げたことを昨日のことのように想い出す。父は言った。「稔郎はいろんな国へ行ったか…

父が逝く 3

30年前、祖父が78歳で逝ったとき、父は47歳だった。今回、父は77歳で逝き、私は46歳だ。父と私は、ほとんど同じ関係で自分の父を失っている。父はそのとき、どのような気持ちで祖父の死を受け取ったのだろう?誰もが、いつかは必ず来る日を想像す…

父が逝く 2

予感はあったかもしれない。けれど、人は後から考えて、よくそう思うことがある。それだけのことかもしれない。77歳の父は、「90歳までは生きたい」と言っていた。たしか、昨年は「85歳までは」と言っていたのに、1年で目標が5歳延びていた。きっと…

父が逝く

12月1日の夜更けに、元気だった父の訃報が届いた。交通事故だった。父は横断歩道を渡っている途中で、直進してきた車にはねられた。即死だったらしい。2日午前のプレゼンを終えて、すぐに熊本へ向かった。いいプレゼンができたことを、心の中で、突然この世…

夢を抱かないこと

クライアントさんのお話。ある職業に対して、夢を抱いてその世界に入ると、幻滅を体験したりして、かえって続かない人が多い。しかし、その方は、夢を抱いてその世界に入ったわけではないから、いい面を見るたびに、だんだん楽しくなってきた。だから、この…

ドリフターズ

今から振り返ると、ドリフターズの魅力は、志村けんや加藤茶という精鋭がいたことよりも、仲本工事や高木ブーという普通の人がいたことによって、際立っている。1970年代までの日本は、今よりもほんわかしていた。国際化とともに、実力主義の時代に突入…

発展途上国

1985年はプラザ合意の年で、ここから円高はどんどん進んでいった。その頃、大学生だった私は、休みに入ると決まって海外へ旅立った。そのころの私は、土木技術者になって、発展途上国でダムや橋をつくることを夢見ていたから、きっかけは、そのような国…