2019-06-01から1ヶ月間の記事一覧
「休むこと」と「未来へ向かうこと」の両方が自由にできる空間にぼくらはいたいと思う。
2007年。青山真治監督。 世間から逃げ込んでくる者たちの吹き溜まり「間宮運送」。 借金取りに追われている者、中国人孤児、家出人、犯罪者、あらゆる種類のはじかれ者がここに流れてくる。 そんな人たちに、住処と仕事を与え、外部の攻撃から身を守る背後に…
「stain=汚す」と「sustain=持続する」。 ぼくが1994年に「汚しうる美=stainable beauty」と建築学科の中で言い始めたとき、ちょうど建築界で「持続可能性=sustainability」という言葉が言われ始めたばかりで、教授に「sustainable beauty?」と聞き質さ…
どこまでもつづく砂の風景。そんな場所にも生き物はいて、人間も生活していた。 それを当たり前のように眺めていた学生時代。 こんなにモノが溢れる日本にいながら、生きることが難しいとは思わなかった。 アルカディアはいたるところにあって、今日を昨日の…
ぼくが南米ペルー・エクアドル・コロンビアを旅した1988年は、コロンビアが危険な町として有名だったが、現在はその隣のベネズエラの報道が多い。 新自由主義に背を向けて、なおかつ、政治が腐敗した国はどんどん貧しさを増しているらしい。人々に笑顔がない…
箸は繊月の如く、 微かに、そして、柔らかに宙に浮かび 食の虚空を緩やかに舞う
グリッドフレームのロゴは、GFという文字がグリッドフレームの檻に閉じ込められているが、右上が開いている。 外部的な何かを、檻に閉じ込めるが、同時に逃げる契機を与える。 それがグリッドフレームのつくりたい空間だ。
人が何かを進めるためには、対象の既存の意味を取り去って、素材に変えることが大事だ。
汚されたもの、取り残されたもの、捨てられたもの・・・ いずれも受動態としてあり、世の中の隅っこへ追いやられているものだ。 これらに対して、ぼくはさびしく、ものがなしい印象とともに、何か凛とした美しさを感じる。しかし、そのような甘美な気持ちだけで…
「意味の変容」が100回読んでも新しいのは、それが常に新しい問いを呼び起こすからだ。 自分の現実を問う心に必ず寄り添ってくれる。森敦は、なぜそんな本が書けたのだろう。 「意味の変容」は構造であり、空間である。 ぼくは、その空間の中を歩くが、以前…
まずは想いを描いてみる 世の中をこんなふうに変えたい、とか これが大事だ、ということをみんなに伝えたい、とか こんなことができたらいいな、とか それを空間化できたとしたら、 その想いの中で実際に人が動くことになる ぼくたちは それがどんな想いであ…
たまり場とは、重力のままに人がいざなわれる場所だ 人は、水のように窪みへ集まってくる その窪みの心地よさに 人は懐かしさを感じ、いつまでもいたいと感じると同時に 無垢な精神が出会い、 魂がふれあうとき 混沌からカタチを生もうとして この窪みを抜け…
「引きこもり」と呼ばれる人が50歳を過ぎて、お金だけは困らない状況が周囲によってつくられている記事をネットで読んだ。 その人が、「私が生まれてきた意味はなんだったのでしょう?」と語る。メディアはそれを重い問いとして、印象付けようとする。 しか…
森敦の「意味の変容」で、「死んだら絶対に落とさねばならない約束手形」とあって、 今までよく考えずにきた。 問いを続けながらずっと生きても、死はいつ訪れるかわからない。だから、死は天に任せるものと考え、ひたすら問うことに集中すればよい、と考え…
日曜日は家族3人で銀座まで走る。 中央通りの歩行者天国めざして。 前回は陽向だけ自転車だったが、もう3人で走れるのがうれしい。
小石川の大正時代に建てられた住宅で海野さんが個展をされるとのことで、久しぶりに伺ってきた。 海野さんの水墨画が、100年の時を経た空間と対峙し、会話する。 その空間に自分も在ることに自ずと感謝の気持ちが湧く。 海野さんのように描くことに人生を賭…
歌を聴くのなら、アカペラに近いものが好みだ。 伴奏楽器の多いもの、編曲の凝ったものは、嫌いではないが、本質ではない、と感じる。 それは、ぼくたちのつくりたい空間にも言える。 要素は少ないほど、本質に近づくのだから。
1998年。岩井俊二監督。松たか子。 20年以上前の映画、と言えば、ずいぶん古い。ぼくが会社を立ち上げた年につくられた。 けれど、時代感はあまり感じない。 「どうしてこの大学を選んだの?」という質問に答えを濁す主人公。 ワクワクする気持ちが伝わって…
人の心を捉えられない淋しさ。 戦略的であろうとするのをよして、素のままで相手に会うことにしてから、ずいぶん時間は過ぎているが、状況をコントロールしなければ、会話が無為になってしまうことも実感している。 内容、表現などすべて微細な違いに過ぎな…
仮に、「芸術とはとりかえのきかない世界に属するものだ」と定義しよう 「芸術には二つのジャンルがある」と森敦は言っている 一つは、絵画、彫刻や音楽などの、否応もなく目や耳に入ってくる、強制力をもつところのジャンル もう一つは、物語のように、1ペ…
「本にはどれだけお金をかけてもかまわない」と貧乏学生のBen Pollardが言った 彼の部屋には、本棚と古いソファがあった 他に何があったか、思い出せない ・・・そう、オーブンがあった 彼と彼の彼女Jeniは、ぼくとChii-luhをクリスマス・ディナーに招いてくれ…
かつて詩を詠んで聴かせることを望まれた場があった。 アメリカでは、ビートニクの時代。ちょうど日本でも学生運動の頃で、京都のバー「白樺」でもそんなことがあったのだろう。 ぼくが通ったのは80年代の終わりの頃だったが、まだそんな場所としての一面が…
ぼくが日記を書くのは、ひとつには儀式的な意味がある。 神社へ行って、お参りするのと同じだ。 見えないものに向かって、背筋をまっすぐに伸ばして目を閉じる。 一日の中で、そのような瞬間があることが、ぼくを生かしている。
猫は、クリエイティブな生き物だ。 決められた場所など意に介さず、自分にフィットする空間を探し出す。 手洗いシンクの窪みで、まるくなって熟睡している猫は、そのやすらいだ心を伝えてくれる。 体がやわらかいからそれが可能なのだ。 犬にはできないゆえ…
ぼくが一番好きな音楽は、アカペラだ。 伴奏があったとしても、ピアノか、ギターか、なんでもいいけれど、ひとつの楽器で十分だ。それ以上は要らない。 フルオーケストラも、電子音楽も、嫌いなわけではないが、アカペラの方が明らかに心に入ってくる。 空間…
リンカーン大統領の頃に、黒人奴隷解放運動を率いた白人ジョン・ブラウンは自分たちで政府の武器庫から武器を奪った。その武器を黒人奴隷たちに持たせて、戦おうという企てだったが、当の黒人奴隷たちは、「蜂起しても、どうせ現実は変わらない」と動かなか…
ぼくが子供の頃夢中になった柔道は、引き分けの多いスポーツだ。 個人競技でこれほど引き分けの多いスポーツが他にあっただろうか? 無論、個人戦では判定で勝ち負けを決するけれど、団体戦では有効なポイントがない限り、引き分けとなる。 ぼくは、相手にき…
昨日は、ありがとうございました! 陽向ともども、とても愉しませてもらいました イチゴを摘んで箱に入れながら、時折口に入れる、という幸せは他で味わうことができない瞬間です こんなふうに働けたら、と夢見てしまいますが、農家のご苦労を知らない故です…
大学の後輩の誘いで、陽向を連れて栃木県下野市へイチゴ狩りに。 農家の方のご厚意で、出荷が終わった残りのイチゴを取らせていただく。 イチゴを摘みながら、腰を休めるために立ち上がっては、摘んだばかりのイチゴをほおばるのは幸せだ。 そして、近くの田…
ぼくらが子供だった頃の運動会は、テントの下で家族と弁当を食べることが一つの大きなイベントだった。親たちが参加するプログラムの内容も面白く、今でも思い出すシーンがある。運動会は、家族のイベントでもあった。 今年の陽向の運動会は、親たちは立ち見…