gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

映画 ある秘密

2007年。クロード・ミレール監督。

 

第二次世界大戦後のフランスで、スポーツの得意な両親を持ちながら、病弱で運動の苦手なユダヤ系の少年フランソワは、自分とは対照的な理想の兄を空想の中で作り上げていた・・・。(wikipedia)

 

父と母の愛が、父の前妻とその子をホロコーストの場に追いやってしまった過去を知った少年。そして、その過去がなかったら、彼は存在していないという現実。

 

存在すること。生きること。それらを受け入れて、最善のことをやろうとすること。

 

父母の旧友ルイーザは、父も母も「裁くことはできない」と言う。

 

静かに微笑んで生きる。それ以上のゴールはない。

 

 

映画 三重スパイ

2003年。エリック・ロメール監督。

 

自分が近代史について、いかに無知であるかを思い知らされる映画。ロシアの白軍、赤軍、そして、ナチスの三重スパイであった主人公は実在の人物らしい。

 

戦時の命の重さは軽い。どのように生きようと、紙切れほどの重さもない。

 

そして、戦時ではない現代も、そのような扱いを受けることは確実にある。

 

非常時である今だから、それぞれの命の重さを実感できる時代の姿を明確に描きたい。

 

 

温暖化が止まっているかもしれない

ここ最近の世界的な経済活動の鈍化で、地球温暖化を抑止する効果はずいぶん上がっていることが予想される。

 

これは、コロナウィルス以上の被害が予想されている温暖化で大量発生したバッタの襲来を抑えることにつながるかもしれない。

 

地球を冷やすこと。実は、現在これが地球の壊滅を防ぐために優先順位が最も高いことなのではないか。

 

2月にようやく鎮火したオーストラリアの森林火災も温暖化が原因とされている。

 

地球はもうギリギリのところに来ているのだろう。コロナウィルスはそんな意味でも、地球に福音をもたらすものになる可能性がある。

 

 

バッタの大群

東アフリカで発生した500億匹のバッタの大群が東へ移動しているそうだ。

 

温暖化によって、普通は冬に死んでしまうはずが、春まで生きのびてしまったそうだ。

 

現在は、パキスタンまで来ている、と。このまま生きていれば、6月にはその400倍に数を増やして移動すると言われる。つまり、200兆匹。

 

ルートに入った地域の農作物は食べつくされてしまうらしい。

 

もちろん、そのルートの先には日本がある。

 

また、バッタは大群になると、緑色だった体が黄色と黒色の体に変態して、毒性を帯びる可能性があるとのこと。

 

だから、バッタを食料とするのも難しいかもしれないそうだ。

 

ずいぶん急な最大級の恐ろしい話だが、コロナだけでなくこの災害の可能性にも備えなくては。

 

今のところ、何もできそうにないが、とりあえずできるのは食料の備蓄くらいか?

 

 

コロナウィルス後の世界

過去にも疫病は頻繁に世界を脅かしてきた。

 

14世紀にはペストの流行によって、ヨーロッパの全人口の30%から60%が死亡したと言われている。

 

日本でも天然痘が8世紀以来、度々流行を繰り返すなど、疫病は珍しくない。

 

だから、武漢でコロナウィルスが発生したと聞いたときも、誰もこんな事態になるとは思っていなかったと思う。

 

グローバル資本主義があっという間に機能不全に陥ってしまったのは、不幸であると同時に、新しい何かが見えてくるのではないか、というかすかな希望も感じられる。

 

今後の世界を描ける人はどのくらいいるかわからない。でも、それぞれの人が真剣に自分でそれを描いてみようとすることが、今最も大事なことだ。

 

 

 

 

暗闇

 

私たちが生まれてくる前は、私たちは死んでいたのか、それとも、生きていたのか。

 

もしかしたら、こういうことがいえるかもしれない。私たちは、生まれてきたときには、もう既に先人たちの生命の一部として何億年も生きてきて、最後の瞬間を一つの生命体として過ごすために生まれてくるのではないか。私たちは生まれてきたときに、他の生命体の一部という存在から解き放たれて、最も自由な存在になると同時に、逆に、記憶によって他の生命体の一部である状態を常に願望として抱くことを強いられながら、決して他の生命体と合一できないという最も不自由な存在になるのではないだろうか。

 

おそらくは、このような矛盾を抱えて生まれてくるためか、あらゆる生きとし生けるものはどこか悲しげである。これを書いている私も、これを読んでいるあなたも、外でさえずる鳥も、地中にうごめくミミズも・・・。

 

何億年も先人たちの生命の一部として包含されてきた私たちの生命は、過去から未来に目を転じると、他の生命を自分の一部として包含している。宇宙が誕生したときから生まれてくるまで、正確にいえば、生まれた後も独り立ちできるようになるまで、何億年も「守られる」側であった自分が、初めて、「守る」側の存在として生き始める。そして、そのような立場で生きることができるのも、何億年の時に比べれば、ほんの一瞬、一秒にすぎない。

 

私たちが一つの生命体として自分の人生を生きる理由は「守る」ことを体験するためである、といってよいかもしれない。見よ、鳥が巣の中の雛を守ることにいかに必死であるか。

 

 

 

私たちが先人の一部として包含されているとき、私たちはずっと深い暗闇の中にいただろう。そして、母親の懐胎の瞬間、暗闇の中にひとつ小さな光が灯される。その光は少しずつ大きくなり、心拍によって光の外を覆っている暗闇との交信を行いながら、ひたすら細胞の分裂を繰り返していく。やがて、人間のかたちができあがっても、光の周囲には依然として、たっぷりとした暗闇が無限のかなたへ広がっている。

 

そのようにして生まれてきた子供たちはみな、すぐそこに無限の暗闇が広がっているのを知っている。まるで友達のように、暗闇をのぞいてみたり、暗闇の側へさっと消えてしまったりするだろう。

 

その暗闇は、生命の根源であり、また、死でもある。「守る」ために生まれてきた私たちは、大人になるにしたがい、暗闇を封じ込めることで生命を守ろうとするようになる。そして、大人たちは、暗闇がすぐそこにあることをすでに忘れてしまっているかのようにふるまうようになる。

 

しかし、暗闇の存在を忘れてしまった人間は、不意の出来事で光から逸れてしまったとき、自分の軌道を見失い、あわてて光の中へ戻ろうとすることしかできない。もはや、暗闇に生命の根源を見ることができないからである。だが、あわてて光の中へ戻ったとしても、そこにはもう彼を生かす場所は用意されていない。彼は、暗闇で目を凝らして、じっと自分に耐えていなければならなかったのだ。新たな光をそこから見いだすときまで。

 

 

結節点

一月万冊さんと安冨歩さんのyoutube番組が最近のお気に入りだ。

 

今日は、今後の生きていく方法について語っていた。人の為になることをして信頼を得てSNSなどを使って人の為になるモノやサービスの売買をする、というスタイルでお金を集め、それをさらに人の為になることに使う。その繰り返しによって、金銭的に困らずに、何かに寄りかかることなく生きていく。

 

モノやサービスと、人との結節点の位置を占めるとお金が集まる。amazon楽天もそうだ。

 

だが、大きな企業体でなくとも、結節点になることができる。クラウドファンディングでお金集めに成功するのも、結節点として機能しているからだ。

 

魅力ある何かと、魅力ある人。

 

その組合せで、お金を動かしていける時代が来ている。

 

 

判決

 

 相模原施設19人殺害事件の植松被告にたった2か月の裁判で死刑判決が出た

 

社会としては、この事件が十分議論されないまま、さっさと闇へ葬ろうとしているようにも見える

 

 「生産性で人間の価値を測る」

 

そういう視点を持っているぼくら人間のすべてに対して、問いを突き付ける事件であるはずだ

 

ぼくらが毎日やっていることに直接関係しているのだ