gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

新たに始めたいこと

店舗デザインへの投稿より。

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2024年元旦に能登半島地震があり、甚大な被害をもたらしました。

 

ぼくの実家・熊本では2016年に熊本地震があり、母一人で住む実家や亡き父の生家が大きな被害を受けました。

 

ぼくは、古い建造物やさまざまなモノたちはこれまでの時間を記憶しており、そこで生きてきたもの全体の魂を宿していると考えて、そのようなモノを寄付で集めて空間づくりの素材として活用するSOTOCHIKU(ソトチク)という活動をやっています。

 

なので、地震などで壊れたモノをガレキと呼んですぐに片付けてしまうことは、歴史を失ってしまうことだと考えています。だから、壊れたモノを一部でも受け継いで、未来の空間づくりに生かしていかなければならない、と強く思っています。

 

しかし、熊本地震のときには築100年以上の父の実家が全壊したのですが、最初は母が普段の生活を取り戻すことに必死で、壊れたものを少しでも早く片付けてしまいたい、という気持ちで精一杯だったことが思い出されます。ようやく落ち着いて、壊れたモノから使えるものを探して取りに行かねば、と動いたのは既に全てが片付けられてしまった後でした。

 

そこに流れた時間の記憶を受け継ぐことができるモノはもう何もない。そのことを痛感しました。

 

きっと、能登で被災された方々の中にも、少し時間が経った後で、ぼくと同じような思いを抱く人がたくさんいらっしゃると思い、壊れたモノが片付けられてしまう前に寄付していただけるよう3月に現地に入って、動き始めました。

 

現在までに、東京で「The Art of Tea TOKYO」と「漫画家さんの部屋」の2件で能登地震で壊れたモノを空間に活用させていただきました。

 

今後も能登で壊れたモノがなくなってしまうまで、この活動を継続していきたいと思います。

 

そして、今、新たにチャレンジしたいことがあります。

 

能登で壊れたモノを別の土地で活かすことのみならず、壊れたモノが堆積して山になっている姿が元旦のままに残される能登で、壊れた空間を再生することです。

 

黒い瓦屋根が印象的な奥能登ですが、屋根の壊れた姿に龍の背のような美しい姿を見い出すことがあります。壊れたモノをネガティブなものと決めてかからず、ニュートラルな視線で向き合っていくことにより、新しい文化もそこから生まれる可能性だってあります。

 

7月にキリコを担がせていただいた宇出津のあばれ祭で、魂の宿る古い街並みこそが祭りを成立させているということを実感しました。能登にとって重要な魂の祭りを継続していくためにも、壊れたモノ全部が片付けられることなく、能登で活用されていくことを実現していきたいという強い思いがあります。

 

静かな瓦礫

広がる風景の中にポツンと存在する瓦礫の小山は美しくないか?

 

全体に広がっている風景には居たたまれない気持ちになるけれど。

 

ポツンとある、その小山に親しさを抱いて、ぼくはその上に腰掛ける場所を探す。

 

崩壊した後の混沌は、すべての方向への始まりだ。

 

「混沌にカタチを与えるのが芸術だ」と故・大江健三郎氏が講演の中で語っている。

 

つまり、混沌が見えなければ、芸術は生まれてこない。

 

苦難に面している方から芸術が生まれることが多い理由がここにある。

 

だが、混沌とは苦難の中にしか見えないわけではない。

 

目を凝らせば、豊かな混沌が見える。

 

ぼくらの日常は混沌としてある。

 

陽向の再生

最近2種間くらい、昼まで寝ていて、起きた後も体に力が入らなかったり、体が強ばったりなどで、自由に動けない陽向。

 

夜になって、「陽向、散歩に行こうか?」と誘ってみる。意外にも「うん」とうなずく。

 

ダメもとで、一歩一歩、ぼくが足を引き出しながら、前へ進み、玄関へたどり着く。そこで歩行の練習。「不安定にならなきゃ、体は動かない」「よろけると、倒れないように自然と体が動くだろ」と動き出しの練習。「安定させちゃダメ」・・・なんだか人生論みたいだ。

 

陽向は何かを掴んだようで、それから歩き始めた。いったん歩き始めるとぼくよりも速く歩く。「スゲー」

 

やっぱり、陽向は予定不調和。全く次の予測がつかない。

 

瓦のベンチ 完成

能登町からSOTOCHIKU素材のご寄付をお世話くださったOさんがお越しになり、The Art of Tea TOKYOとショールームのベンチをご覧いただいた。

 

The Art of Teaでは、瓦や鉄板が主張せず、南部鉄器などの商材を引き立てている、という感想をくださった。

 

ショールームでは、マツリズムとのコラボで宇出津につくることや能登のアートフェスタの出品の可能性を示してくださった。

 

まだ壊れたモノが多く残るうちに、必ず実現していきたい。

 

コンセプトに静かに耳を傾けてくださり、冷静にご意見をくださることにいつもありがたく思う。

 

宇出津のSOTOCHIKU素材もまたご寄付いただけるようだ。

 

次への道が開ける限り、能登へぼくの持っている力を可能な限り注ぎこんでいく。

 

vulnerable 傷つきやすい

ほぼ100%の建築が、特殊性-一般性の枠の中でつくられている。

 

あそこに見える木を材料にしていますよ。あそこの大地の土を床にしていますよ。

 

そう言われても、製材された木は、元の姿とのつながりを失っているし、モルタルを混ぜて平坦になった床は、大地とのつながりを失っている。

 

それでは、何も生まれていかない・・・と、ぼくは感じる。

 

つながりとはなにか?NPO抱樸さんであれば、絆とはなにか?傷を負ったささくれ立つ原木をそのままに抱き、こちらもまた傷を受けること。

 

ぼくは日本にはそれが失われてしまったと感じた、その関係性を求めて、20歳の頃、アフリカへ旅立った。今はそう思う。

 

中学校、高校の過剰に守られた生活の中で、死んでいく自分の何かを感じて、この場から抜け出したい、と思ったのだ。

 

そこから、ぼくの人生は変わった。傷を受けながら、なんとか生きている状態だが、不幸ではない。本当の幸せを求めて生きている。

 

だから、後悔はない。

 

vulnerableという言葉を奥さんから教わった。その要素を建築に入れていくのは一般的ではない。でも、人にはそれを求める単独性があることを、ぼくは何よりも優先したい。

 

若いからそうだ、というのは間違っている。それを手放したとき、人は老いる。

 

そんな類いのものだ。

 

 

 

 

光の祭典の裏側で

ミッドタウン恒例のクリスマスライト・イベントが始まったようで、夜はカップルが大勢並んでいる。

 

その裏側には、赤坂中学校の校庭でサッカー部の練習のために強いライトを点ける。その光が生垣を突き抜けて、ミュージアムの壁を照らしている。

 

この方がずっと素敵だと感じるのは奥さんとぼくだけか?

 

 

大地に低く浮かぶほのかな光たち

消えてゆく美しさというものが確かにある

 

それはかつて命の輝きを放っていた頃の

その熱が消える前にそっと包み込みたいという願いが放つほのかな光かもしれない

 

無関心ではいられないから、と

苦しみや悲しみの中でたたかう人々の命の輝きが

何もなかったことにされ消えていく中で

狂ってしまった人たちを

嘲ることしかできない無関心の群れに

この大地が満たされてしまわないように

 

壊れたモノたちは

大地に低く浮かぶほのかな光たちを記憶している

 

それらを片付けてしまって

はい、新しく豊かな人生を始めましょう、とはいかないのだ

 

消えてゆく美しさというものが確かにある

 

それに想いを馳せることなく、

人間の尊厳を語ることはできない

 

自然が壊したモノたちにガレキという名はいらない

一つ一つに向き合えば、それらに美しさを見出すこともある

 

暗闇の中、

大地に低く浮かぶほのかな光たちが微かに声を発する

 

その声を聴こうとして目を閉じる