gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

開かれる視界 

ぼくは、20歳のときに初めて海外へ行った。大学2年生だった。アフリカのケニアタンザニアのひとり旅だ。

 

そこで、面白い日本人にも出会った。その多くが、当時の文明社会に問題を感じていて、精神世界に傾倒している人も多かった。

 

とりかえのきく世界と、とりかえのきかない世界との往来の自由。きっと、その人たちなら、みんな賛同してくれるだろう。

 

 

量より質の生活。働かざる者、食うべからず、という強迫観念から解放されて、時間をかけて質をまっすぐに見つめる。

 

生きること全体で、それを体現していく。視界は開かれた。

はがき

古くからの知人の電話番号やメールアドレスがわからなくて、はがきでやり取りをしている。

 

はがきを書いているときは、ゆったりと流れる時間を感じることができる。

 

思わず久しぶりに絵を描いてしまった。

 

あれこれと相手のことに思いを馳せる、久しぶりの時間。

 

 

映画 タイム・オブ・ザ・ウルフ

2003年。フランス・ドイツ・オーストリアミヒャエル・ハネケ監督。

 

原発事故なのか?町から人が逃げている。そんな状況下での人間たちを描く。

 

文明人たちが無政府状態に陥ったら、どうなるか。どのようにサバイバルしていくのか。

 

人間の尊さは、優しさは、どのように表れるのか。

 

現実をどのようにもコントロールできないとき、祈る心は最後に残された人々の救いだ。

 

狼ではなく、人間でいられるための、最後の砦だ。

 

 

からかい

からかうと笑い転げていた陽向が、からかわれると怒るようになった。

 

もう大人として扱っていかねばならない時が来たのだろう。

 

ぼくと似ているところ、母親と似ているところ、隔世で遺伝しているところ、などなど、いろんな面があるが、誰にも似ていない田中陽向を見つめていこう。

 

 

 

 

fens

イギリスは行ったことのない国だが、fensと呼ばれている場所にはなぜか懐かしさを感じている。Waterlandという1992年の映画の舞台になった場所で、ぼくはアメリカでこの映画を見て以来、この湿地帯の風景が焼き付いて離れないでいる。

 

 以来、何度かぼくの夢にも出てきた。少し高台に立って、ぼくはこれからこの風景の中を彷徨うことになる、というシーンで終わる。歩いている夢は見ない。

 

懐かしい。期待。そして、少しの不安。これは、ぼくがひとり旅をしていた頃の心持ちに近い。

 

きっと、ぼくが求めている「外部」の象徴的な風景に違いない。

 

眺めても何が見えるわけではないが、そこにはきっと混沌が隠れている。

 

人には憂鬱にも見える、その殺伐とした風景の向こうにある、揺るがない何か。

 

 

地元の食堂

旅に出て食事をとるとき、チェーン店以外のおいしそうな店を探すのが難しい時代になってきた。

 

だが、そんな時代になってきたからこそ、地元の良い店を見つけるとうれしい気持ちもひとしおだ。

 

今日は、静岡・富士宮市のカレー屋「華麗屋」。やさしい味の煮込み系のカレーに、いろんなトッピング。素直な味にホッとした気持ちにさせられる。

 

これからの時代を担うのは、こんな店であってほしい。

 

 

富士サファリパーク

すごい数のライオンの群れを見た。ケニアの国立公園でも、こんな群れを見ることはないだろう。

 

食物連鎖から解放された動物たちには、どこかその動きに余裕が見られる。チーターの振舞いの気高さもそこから来るのだろう。

 

草食動物たちも、みなのんびりと優しい顔をしている。

 

それぞれ種の個体数が少ない動物園とも違って、どこか天国を思わせるところがあった。

 

この環境がよいと単純に言うことはできないが、見る価値は十分にあった。

 

 

死が近かった頃

牛島辰熊木村政彦の伝記を読んでいると、破天荒な生き方に映る部分は、実はその時代としては、さほど珍しいことではなかったのではないか、と思われる。

 

死に蓋をしない人生は、今の時代から見れば、子供っぽく映るが、逆に言えば、ぼくらがつまらない大人になってしまっただけのことだ。

 

死との距離は、ぼくらが人生を見直すべき、最優先項目かもしれない。

 

 

海外からのクライアント

ここ数年、弊社のクライアントは、外国人が過半数を超えている。

 

時代の流れを感じる。そして、日本のショッピングモールなどを見て、無理もない、と感じる。

 

未来に新しいものを求めている人には外国人が多い、と感じているのはぼくだけではないだろう。

 

 

任せることができない人へ

例えば、企業の一担当者から、空間をつくる仕事の依頼が来るとする。

 

その人は、辿っていけば、その企業の社長から仕事を任されているのだ。

 

だから、自分が価値を判断できない部分でも、なんとか自分で判断しようとする人が多い。

 

上司から、何でこんなふうにしたの?と問われたときに、ちゃんと自分の中で理由を持っていなくてはならない、と考えるからだ。

 

そこは、「業者に任せました」と答えるわけにはいかない、と思っているからだ。

 

これが、事業を失敗させるもとである。

 

どんな人も、自分にしかできないこと、だけに集中するべきなのだ。

 

それ以外に、口を出してしまうことは、一切がマイナスにしかならない。

 

まずは、設計のための条件を確定する。

 

そして、任せるに足る相手を探し、本当にそうなのか、を判断するのが、担当者の役目であり、その人にしかできないことだ。

 

あとは、相手にベストを尽くしてもらう。一切の妥協なく、仕事を進めてもらう。

 

その環境づくり。

 

相手を選ぶのに、安易にコンペという手段をとるのは浅はかだ。コンペは、必ずタダ働きをさせる相手をつくることになるから、経済全体にロスを生み出す。

 

自分たちだけが儲かればよい、という会社の思想の表れであり、コンペという時点で相手とはビジネスライクな関係しか望めない。

 

参加料として、適正な金額を設定できるならばそれでもよいかもしれない。でも、相手の心意気にお金を払うのだから、いくら払っても足らない、と思った方がいい。

 

一生懸命生きる、という気持ちを守るために、そんな世の中に変えていきたい。