gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

日本の宗教

YouTube安冨歩の日本近代史講義を見ている。おもしろい。

 

戦国時代は、世俗権力の争いだけでなく、宗教勢力VS世俗権力という構図もあったそうだ。その最終決戦が「一向一揆」だという。

 

一向宗とは浄土真宗本願寺教団のことで、ぼくの家も浄土真宗らしいが何も知らないし、何も教えられていない。

 

1580年に信長との抗争に敗れて以来、宗教は端っこに追いやられて、この国では世俗的なことが圧倒的に重要だという認識になった。

 

現在の「クリスマスを祝い、正月に神社で参拝するという、宗教なんてどうでもいいという風潮」はここから生まれていると、安冨氏は言う。

 

家康が本願寺を東と西に分裂させたという。徹底して排除することなく、分裂させる。権力がやることは世界中同じだ。

 

 

 

 

 

 

 

神社

家から徒歩1分にある乃木神社は、緊急事態宣言とともにあたりまえのように門を閉ざして、参拝を拒否している。

 

さすが、宗教は付加的なものに過ぎない国だ、とガッカリしているのはぼくだけだろうか。

 

コロナ禍で本当に困っている人の中で、神社などの存在を心の支えにしている人はいないだろうか?

 

まるで他の飲食店と変わらない存在だと神社自らがアピールしているように見える。

 

ふーん、そうなんだ・・・。

 

 

あらためて、SOTOCHIKUって何ですか?

SOTOCHIKUの母体GRIDFRAMEは創業以来20年以上に亘って、

「予定不調和を取り入れて生きていることを実感できる空間」をコンセプトとして、

住宅リノベーションや店舗空間づくりを手がけてきました。


50年以上前、伴野一六という人は、海辺に漂着したものだけで

とても魅力的な自邸をつくったそうです。


ぼくたちは、SOTOCHIKUによって、「予定不調和」をより進めて、

海辺の漂着物のようにさまざまな遠い場所から集まる

想像もつかないモノたちに出会いながら、

それらを素材として新しい空間をつくっていくことをめざしています。

 

コロナ後の世界は「共存」がテーマになると考えています。

ウィルスも含めて、出会う人、モノ、コトのひとつひとつを大切に思い、

それらと共に生きようとする。

そんな人々がつくる新しい世界のあり方を示す豊かな表象として、

今後たくさんのSOTOCHIKU空間がつくられていくことを心から願っています。

 

 

映画 ゴモラ

2008年。イタリア。

 

貧民街から抜け出したいと思っても、絡めとられてしまう。

 

真っ直ぐな目をした子供も、やがて悪事に染まっていく。

 

自分たちの環境を破壊しながら、なんとか食いつないでいくことしかできない。

 

そんな場所では、命は重さを持たない。

 

外のきれいな世界に生きている者たちは、彼らを利用するだけだ。

 

未だにこんな世界がそこらじゅうに在る。

 

コロナよ、こんな世界をどうする?

 

 

 

 

 

 

ブリコラージュ

伴野一六邸は、海辺に漂着したモノを材料だけでつくった家だという。

 

その家を見ずとも、想像しただけで素敵だ。これを聞いた誰もがうっとりとする。

 

そのようなものづくりの方法はブリコラージュと呼ばれる。

 

ブリコラージュは、理論や設計図に基づいて物を作る「設計」とは対照的なもので、その場で手に入るものを寄せ集め、それらを部品として何が作れるか試行錯誤しながら、最終的に新しい物を作ることである。(wikipedia)

 

そうそう、これがぼくが30年間やりたかったことで、SOTOCHIKUも海辺に漂着するように、遠いところから予測できないものがぼくらのもとへやってくる仕組みづくりから始めようとしている。

 

が、伴野邸の外観写真を見たスタッフたちは、「うーん、思っていたのと違いました・・・」とがっかりした表情を見せた。

 

できあがったものは、バラックだ。言ってみれば、スラム街の建物そのものだ。

 

ぼくは好きだが、同時にほぼすべての人が、このような家には住みたくない、と思うことも知っている。

 

その場で手に入るモノに徹底するとこうなる。

 

だが、新しく一からつくる部分と組み合わせれば、ほぼすべての人が求めるような空間になることも知っている。

 

 

 

 

ミミさん

1998年にグリッドフレームを立ち上げたとき、その拠点は江東区枝川のリサイクルショップだった。

 

そのオーナーだったミミさんが、失礼ながらボロボロの古い倉庫の2階の広いスペースを月5万円で貸してくれた。

 

そこは、フリーター、アーティストの溜まり場になっていて、やはり場所を借りて制作活動をしている人もいた。

 

ぼくは、会社の立ち上げ当初で一人でモノづくりをしていたが、ある日ミミさんに呼ばれた。

 

「実は最近、あなたのお祖父さんとお話してるの」と言う。

 

ぼくの祖父はぼくが16歳のときに他界していて、そのときのぼくは33歳だったが、ミミさんはそういう力がある人なんだろう、と思ってあまり驚かなかった記憶がある。

 

ミミさんは、そういう不思議な雰囲気を醸し出している人だった。

 

「実は、あなたの親戚の若者のことをお祖父さんはすごく心配してるの。あなたに会ってやってくれないかって。」

 

ミミさんが言っているのは彼のことだろう、とすぐにピンときた。でも、居場所は知らない。

 

「探すのを手伝えるって言ってる。」とミミさんが言った。そこで少し耳を澄ますようなしぐさをして、「住所は、西・・・っていう文字から始まるって。」

 

帰宅後、実家の熊本に電話して彼の住所を、彼の親に尋ねてもらうと「西新宿にいる」と。

 

彼とは熊本で会ったのが最後だった。「久しぶりに会わない?」と電話をして、ご飯を食べた。

 

彼はフリーターをやっているという。「じゃ、俺の会社で働かない?まだ決まった収入源はないから、自分の食い扶持は自分で稼げ、って会社だけど。」

 

そんなふうにグリッドフレームのスタッフ第一号は決まった。

 

ミミさんは彼の名前を「信十朗」と名付け、彼も喜んでその名前で名刺をつくった。

 

信十朗は友人たちとアパートで共同生活をしていたが、彼の家に問題があることをミミさんが知っていた。家にいると、体の具合が悪かったり、何か嫌なにおいが漂ったりしていたらしい。そのままだと、悪いことが起きる、と。

 

そのアパートでは、過去に母子心中があり、その霊がまだそこにあって、信十朗たちの生活の邪魔をしているという。ある夜、ミミさんは霊を祓う儀式をリサイクルショップの敷地内でやってくれた。

 

なんとまあ、大迫力だった。信十朗が泣き出したくらいだ。

 

その後、信十朗の調子はよくなった。ひとまず、祖父も安心したと思う。

 

他にもいろんなエピソードがある。とてもとても稀有な人だった。

 

そのミミさんが、死刑囚の永山則夫氏と獄中結婚した人だとは本人からも聞いていた。

 

ミミさんは彼を「永山くん」と呼んでいた。ぼくはそれ以上、そのことを知ろうとはしなかった。

 

永山則夫氏の死刑執行は1997年だったことを、今日知った。スタッフとの打合せの中で、ミミさんの話が出てきたために、検索してみたのだ。

 

まだその死から1年も経たない中で、ぼくはミミさんに会ったのだということを知った。永山氏とミミさんの人生は、ぼくら普通の人では到底想像することができないくらいに過酷を極めていることを知った。

 

その不思議な霊能力も、その中で身についたものだろう。

 

アメリカにいたミミさんが、獄中の永山氏に初めて手紙を書いたときも、きっとミミさんには手に取るように永山氏の状態を見通すことができたのだろう。

 

ミミさんは、系譜図を見るだけで、この人は二つ目、この人は三つ目、あら、この人は一つ目・・・と人の洞察力なるものを言い当てる人だった。ぼくの家系図を書かされて、彼女がそのように先祖の名前を指でなぞりながらつぶやいたのだ。

 

二つ目とは、見た目通り、目が二つある人。見たままに、世界を見ることができる。

 

三つ目とは、二つの目の他に、心眼を持っている人。私の解釈では、洞察力の高い人だ。

 

一つ目とは、逆に、世界を一方向からしか見れない人。目は二つあるはずなのに。

 

人を三つに分けることができるかどうかは、ぼくには分からない。ぼくは、ミミさんではないから。

 

しかし、どんな罪を犯したとしても、ミミさんは死刑囚・永山則夫氏の魂が尊く美しいものであることを揺らぐことなく信じることができる人だったのは明らかだ。

 

ミミさんの信じる力がなかったら、永山則夫氏の、第2審での無期懲役への減刑はなかっただろう。それが最終審で理不尽によって覆されたとしても。

 

ミミさんのような能力はなくても、信じる力は持つことができるはずだ。

 

ミミさんのような揺るぎない信念を、ぼくは持っているだろうか?

 

 

努力と成功

「どんなに努力しても、成功・失敗はそれとは関係なく向こうからやってくる。」

 

でも、努力をすることが大切なのは、失敗したときに、「あのときもっとがんばればよかった」と思う必要がないからだ、と言う。

 

努力することは、成功するためではない。自分を守るためだ。そして、どんな状況になっても余計な念に捕らわれず、そのときに他人を守るために前を向くためだ。

 

 

伴野一六邸

遥か昔に建築家の石山修武が本で紹介していた、海からの漂流物だけでつくられたという伴野一六邸。

 

渥美半島老津町の海辺に住みながら、遠いどこからか波によって運ばれてくるものをしゃがんで拾う男の姿を想像しただけで、たまらなく愛おしい気持ちになる。

 

ぼくがSOTOCHIKUによって実現したいのは、まさにこういう建築だ。

 

遠い場所から集まってくるものたちを吟味しながら、ひとつの空間をつくる。

 

外の世界からやってくるものでつくるから、ソトチク。

 

近い未来を予想し、また外部と出会うことを繰り返す。

 

予定調和になりえないことの喜びは、そのまま、つくることの喜びだ。

 

 

 

高速道路

今日は現地の計測に。

 

日曜日だが、ほぼ全員が諏訪へ。

 

帰りの高速でK君がかっ飛ばして、警察に捕まる。

 

まあよい。かっ飛ばしすぎていることを指摘しても一向にスピードを緩めようとしないK君に、身の危険を感じていたところだったから、実はホッとした。

 

その後は、ゆっくりマイペースでぼくが運転。

 

安全第一。これでよかったのだ。

 

 

雨の畑

明日は仕事になったから、週末の畑作業は今日しかない。

 

今日は、日中は雨だと分かっているが、先週植えたスイカとメロンの苗の様子を確かめなければならない。

 

できるなら、毎週少しずつでも植えていかねば、ということで、畑へ向かった。

 

誰もいない畑には、キジが待っていた。

 

イカは5本中2本が、メロンは3本中1本が枯れていた。来週、新しい苗を補充せねば。

 

今日は、紅はるかなど、サツマイモとトウモロコシを植える。サツマイモは思ったよりも苗の数が多くて、雨の中の作業を早く切り上げることができず、みんなびしょ濡れ。

 

だが、5月の雨は爽やかで、帰りの銭湯では報われた気持ちに。

 

 

よい国とはどんな国か

コロナ騒動のおかげで視野は広がっている。

 

情報が多すぎて混乱しているが、ぼくらは日本人として生まれたことをどう思うか、ということをそれぞれの人が自問していることだろう。

 

現在、世界中がコロナの影響を抑え込むことに夢中になっているが、コロナ以外の不幸や災難には目が向かなくなっている感がある。

 

今回、感染を防ぐために仕事を止められていることで、金銭的に追い詰められている人も多いはずだが、そのことで自殺する人数は、コロナ感染による死亡者数をはるかに超えるだろうと言われている。

 

また、コロナ感染者のために他の疾病の患者がICUが使えないで、死に至るケースは確実にあるだろう。

 

国は諸外国からの目を気にして、コロナの感染者数と死亡者数を最も気にしているように映るが、それが「よい国」だろうか?

 

スウェーデンのように、集団免疫を獲得するためにロックダウンしない国の自殺率はどうなのか?トータルとしての死者数、経済の状況はどうか?

 

半年後、1年後、2年後、どの国が最も輝いているか?

 

ぼくらの日本はどうなのだろう?