gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

都知事選

小池知事の再選が大差で決まった。

 

去年の参議院選まで、ほとんど政治に無関心だった自分を顧みると、この結果は不思議ではない。何もしない体制側が買ってしまう。

 

自分が無関心ではなくなったように、どのくらいの人が関心を持つように変わったのか、を知るためには、最終的な票数を確認する必要がある。

 

ネットで運動を展開した人たちが、どのくらいの票を獲得したか?

 

その合計が小池百合子の票に拮抗するとすれば、今後は電通の影響下に置かれない選挙に移行していく、つまり、既得権益を持たないところから、選挙に勝つ人が出始める、ということだ。

 

自分で考えて行動する人が、権力を得ること。そんな当たり前のことが、ようやく可能になる。

 

ただ、選挙の制度改革も必要だ。例えば、東京都知事選であれば、1400万人の首長の座を争う選挙なのだから、オランダの首相に匹敵するくらいの戦いなのだ。それを、たったの2週間の戦いで決めようというのは無理があるだろう。

 

半年間くらいかける価値は十分あるはずだ。

 

議論する時間が短ければ、今回のようにテレビ討論の機会すらつくれないでも、しようがない、で終わってしまう。それも、体制側の思いのままだ。

 

今後、それもきっと変わっていく。気づいてしまった人が今回の選挙でも増えたはずだからだ。

 

 

 

 

弱い者は弱い者を助ける

金を持っている人は、貧しい人のことを考えない。

 

勉強ができる人は、勉強ができない人のことを考えない。

 

うまくいっている人は、苦しんでいる人のことを考えない。

 

想像力の問題とはよく言われるが、たぶんそうではない。

 

きっと日常の中で、自分との関わりがないものについて、考える機会を持てないからだ。

 

実際に会ってみたら、きっと変わる。

 

宇都宮健児さんも、「そういう人に出会ってしまったから」と言っていた。

 

黒柳徹子さんもユニセフ大使のときに、同じセリフを言っていた。

 

出会うこと。それがすべてを変える。

ドラマ 贖罪

2012年。黒沢 清監督。

 

小5の娘を変質者に殺された母親が、その直前まで一緒にいた4人の同級生に対し「犯人の顔を思い出せない償いをするまで、許さない」と恫喝したことが、4人のトラウマになったことが元で、15年後、さまざまな不幸が彼女ら一人一人にふりかかる。

 

単なる逆恨みに過ぎないが、15年経っても母と4人の関係性は変わっていない。・・・ありえないようだが、トラウマとはこんなものか?

 

 

 

 

雨のち曇り

陽向と畑へ。今日は、雑草取りとスイカの受粉作業。

 

午前早くに到着しても、現場は雨。これでは、どちらの作業もできない。

 

仕方がないから、近くのカラオケ屋さんで1時間潰す。(陽向は大喜び)

 

13時半からようやく雑草取り。延々と終わらない。

 

予想した通りだが、ぼくら二人の作業は遅い。

 

結局、薄暗くなるまでやって、ようやく受粉作業まで終えた。

 

といっても、タイミングを逸したのか、受粉できる雌花が少ない。

 

イカはなってくれるのだろうか?

 

2週間ほど、時間を戻したいところだ。

 

 

sotochiku.com

f:id:yogosiurubi:20200623154721j:plain

(ひなた、登場)

sotochiku.comが、いよいよ完成。

 

https://sotochiku.com

 

これから、広告をかけて世に問う段階に入る。

 

コロナのおかげで、じっくりと詰めることができたのが本音だ。

 

あとは進めながら、ぶつかる問題に対処しつつ、存分に愉しむつもりだ。

 

(ちなみに、ぼくは死ぬまで引退するつもりはないw) 

 

 

日本近代史

なぜ日本の近代史・現代史を学校では教えようとしなかったのか?

 

それは、従順な人間を育てるには不都合だからなのか?

 

子供の頃に、「どうすれば、あの戦争を回避することができたのか?」と考えさせることは、どんな教育よりも重要ではなかったか?

 

そのような教育を親として始めたいと思う。

 

 

クレーム

自分は間違っていないと思うこと、が前提として。

 

クレームが来ても謝らないでいいポジションに立ちたい。

 

自分が間違っていると思わないのに謝ってはいけない。

 

これからの日本では、これは大事なことだ。

 

もちろん、心をほとんど無にして、やり過ごすために、さらりと謝ることはある。

 

処世術として、これも大事だが、下手にやると上下関係をつくってしまう。

 

闘わなければならないときに、闘えるように。

 

 

スタート

まず、スタートすることが大事だ。

 

これは自分の力を使わないと何ともならない。

 

スタートしないと、少しでも前に進むのに必要なものたちが見えてこない。

 

それらが見えてきたら、もう次々に揃えていくだけだ。

 

これはもう自分の力だけでなく、ある程度他人の力を借りて半自動的に進み始める。

 

動きは決して滑らかではないし、下手をすると止まってしまう。

 

動きが少し滑らかになるところまで、力が要る。

 

今はまだ、そこにいる。

 

 

今年のホタル

コロナの影響で、今年はホタルをイベントとしてやっていなかった。

 

イベントと言っても、うちわを配ってくれるだけなんだけれど、それでも灯りがなくて、静かだった。人も少なくて、その分、ホタルはたくさん飛んでいて、いつもより明るく感じた。

 

来年からも、こんな静かな感じの方がうれしい。(駐車料金は取っていいと思うけど。)

 

陽向もすっかりこの雰囲気を愉しめるようになって、静かに歩けるようになった。日本の夏の美しさを理解するようになってきたのだろう。

 

アメリカでは、わざわざホタルを見に行く習慣はないようだ。ぼくは、たまたま夕暮れに森の水辺にカエルを見に行ったら、見たこともないほどの数のホタルが光りはじめて、しばし呆然と立ち尽くしたことがあった。

 

たくさんの蚊にさされなければ、ぼくは何時間でもそこにいただろう。

 

 

でも、そのことを友人に話しても、「よし、見に行こう」とはならない。なぜだろう。他にはいろんな感覚を共有できていたのに。

 

なんせ、ホタルの英語は「lighting bug」で趣きなどあったものではないし。

 

 

映画 ジョーカー

2019年。ホアキン・フェニックス

 

ゴッサムシティで市民の暴動が起きる。貧富の差の拡大が止まらないからだ。

 

それは、実際のほとんどの都市に当てはまる。

 

実社会では、これにコロナ禍が加わっているのだから、アメリカで暴動が起きているように、世界中どこで暴動が起こってもおかしくない状況だ。

 

映画では市長選。東京都は都知事選。

 

ジョーカーのような不幸は、もうそこら中に存在している。

 

さて、市長候補のトーマス・ウェインに似ている候補者は誰だ?

 

 

 

 

 

 

こころをたねとして

「こころをたねとして」は、古今和歌集仮名序の紀貫之の文章、「 やまとうたは人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける」から取ったものと思われる。

 

これは、アートNPOのココルームの上田さんが考えた、詩を書くひとつの方法であり、二人組にして、互いにインタビューをしあって、相手について詩を書いていく、という方法をそう呼んでいるとのことだ。

 

インタビューを制作の源として空間をつくるのが、グリッドフレームであり、共通点を感じる。

 

「こころをたねとして」では、どんなことを聞いて、どんな詩ができているのだろう。

 

今、それについての本を読んでいるところだ。