今から振り返ると、ドリフターズの魅力は、志村けんや加藤茶という精鋭がいたことよりも、仲本工事や高木ブーという普通の人がいたことによって、際立っている。
1970年代までの日本は、今よりもほんわかしていた。
国際化とともに、実力主義の時代に突入して、普通の人がブラウン管からいなくなった。
それは洗練された、ということだったかもしれないが、同時に息のつまるような時代の始まりだったとも言えるかもしれない。
現在、ほんわかした社会が再度求められているのかもしれない。もう一度、ドリフターズの魅力を再確認したいと思う。