私は、1990年代に柄谷行人の70年代・80年代の著作を読んで、影響を受けた。共同体と共同体の間に立つこと。外部的であること。そんなことについて、目の覚めるような鋭さで書かれていたのをワクワクしながら読んだ。
共同体は、いつもネガティブな位置に置かれていた。柄谷行人本人も、友人は中上健次ひとりだ、と語っていた。友人はひとりいれば十分だと。
おそらく80年代であれば、時代に合っていたのだろう。だが、90年代に群れをなすことに嫌悪感を抱くようになったことは、自分をますますひとりに追いつめていったと思う。
勤めていた会社が倒産し、起業を余儀なくされたときに、私のこの性質は致命的ともいえた。会社が体をなすまでかかった長い時間は、時代とのずれを修正するのにかかった時間だったといえるだろう。
現在も共同体という概念とどう付き合ったらよいか、よくわからない。
私が執拗に個にこだわり、共同体を半ば捨てた(捨てられた?)からこそ、現在があるだろう。さて、これからはどうだろう?