gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

映画

映画 歓びのトスカーナ

2016年。イタリア。 原題は、La pazza gioia(狂気の歓び)。心を病んだ女性が入院する診療施設を抜け出した二人の逃避行。 もし、安心して狂っていることができる社会になれば・・・、などと言う前に、社会全体がどこかが狂っている。例えば、テレビに出る…

映画 グランド・ブダペスト・ホテル

2014年。ドイツ・アメリカ。ウェス・アンダーソン監督。よくできた映画だった。こんな映画は、見終えたときに気持ちがよい。

映画 ファウスト

2011年。ロシア。アレクサンドル・ソクーロフ監督。悪魔との契約で、恋した少女と一夜を共にするために、自分の魂を売り渡したファウスト。(つづく)

映画 ミッション

1986年。イギリス。1750年頃の南米。スペイン植民地下の南米・パラナ川上流域(現在のパラグアイ付近)を舞台に、先住民グアラニー族へのキリスト教布教に従事するイエズス会宣教師たちの生き様、彼らの理想と植民地社会の現実の矛盾を描く。「とり…

映画 忘れられた人々

1950年。メキシコ。メキシコの貧困の中で、正しく生きようとしながらも、生きることを許されない少年。スラム街の少年たちの荒んだ心。祈り。不確かな友情。ネガティブ。ポジティブ。その中間。スラム街にさえ、スラム街ゆえの美しいものがある。だれも…

映画 FAKE

2016年。森 達也監督。ゴーストライター騒動の佐村河内守氏を追う。耳が聴こえない天才作曲家として脚光を浴びた後、ゴーストライターとして名乗り出た者によって、地に堕とされた彼は、本当に作曲家なのか?でも、はっきりすべきことは過去にはなくて、…

映画 A2

2001年。森 達也監督。ぼくは、1996年に4年間のアメリカ留学から日本へ帰ってきた。オウムの地下鉄サリン事件は、1995年3月。ぼくは、アメリカでその不気味な事件のことを聞いたが、どのような印象を持ったかもほとんど覚えていない。その2か…

映画 A

1998年。森 達也監督。一月ほど前、リアルクローズの四元さんと飲みに行ったときに、「今これ読んでました」と文庫本を渡されたのが、「それでもドキュメンタリーは嘘をつく」という森監督の書いたものだった。いろいろと共感することがあって、では代表…

映画 RUBBER

2010年。フランス。あまり、覚えていたい種類の映画ではない。が、変な位置にあるから、他に紛れることなく、何年経っても覚えていてしまうんだろう。 ← 創造性の連鎖でつくる店舗デザイン:グリッドフレーム ← コラボで実験しながらつくるオリジナル素…

映画 甘い生活

2005年。韓国。イ・ビョンホン。韓国映画特有の残酷なシーンが多い。たけしのヤクザ映画もそうだけど。だれがこんなシーンを見たがるんだろう、という素朴な疑問。撮影は大変だったろうな、と思うけれど、それが興行収入に比例するのだろうか。・・・と、興…

映画 ブンミおじさんの森

2010年。タイ。「魂は場所につかないの。人につくものなの。生きている人にね。」死ぬ間際のブンミの、数日前に出てきた死んだ奥さんの幽霊に対する「死んだらどこで君に会えるの?」という問いに答えたものだ。死後の世界は、森のように深い。詩の世界…

映画 明日、君がいない

2006年。ムラーリ・K・タルリ監督。オーストラリア。タルリ監督は、当時19歳だったそうだ。ぼくが19歳のときに、何ができただろう?手法に「エレファント」というお手本があったのは大きいだろうが、それでもすばらしい。 自殺したのはだれか?登場人物…

ストーカー

1979年。タルコフスキー監督。 弱いもの、やわらかいものは生きる。強いもの、固いものは死ぬ。強くなろうとして、固くなってしまった人間たちが、世界を動かしているのだろうか。 だれもそこへ入らなかった「部屋」は一体なんなのか。 ← 創造性の連鎖で…

映画 フィッツカラルド

1982年。ヴェルナー・ヘルツォーク監督。クラウス・キンスキー主演。アマゾン川の上流のジャングルの町イキトスに、オペラ座を建てることを夢見る男の物語。夢を描く。映画には、そんな力があったのだ、と改めて知る。大きな船に山を登らせるシーンは、…

映画 沙羅双樹

2003年。河瀬直美監督。急に駆け出して、二人で奈良の町を走り回る間に、いなくなってしまった双子の片割れ。残されたもう一人の少年。双子とは、生まれながらにして、一つなのに別々であるという矛盾を明確に抱えた存在なのだろうか。その片割れが、す…

映画 female

オムニバス映画は、ちょっと苦手かもしれない。実験的なのは構わないが、後に残るものがなさすぎる。 ← 創造性の連鎖でつくる店舗デザイン:グリッドフレーム ← コラボで実験しながらつくるオリジナル素材による店舗デザイン:マテリアルス実験工場

映画 海よりもまだ深く

2016年。是枝裕和監督。あきらめること。あきらめないこと。一夜の台風は、その境界となって、新しい配置をつくって、勝手に去っていく。 ← 創造性の連鎖でつくる店舗デザイン:グリッドフレーム ← コラボで実験しながらつくるオリジナル素材による店舗…

映画 ミニスキュール

2013年。フランス。3歳の陽向を連れて、最初に映画館へ行ったのが、この作品だった。てんとう虫とアリたちの友情。自然の映像の美しさ。セリフはないから、世界中の人が何歳でも楽しめる。陽向もよくイメージを覚えていたようだ。 ← 創造性の連鎖でつく…

映画 奇跡

2011年。是枝裕和監督。子供たちが、九州新幹線がすれ違う瞬間を待って、自分の願い事を叫ぶ。何を願うのか?自分だったら、と考えるのは、決して無駄ではない。 ← 創造性の連鎖でつくる店舗デザイン:グリッドフレーム ← コラボで実験しながらつくるオ…

映画 ブレードランナー

1982年。リドリー・スコット監督。ぼくは、この映画が公開された10年後にアメリカで建築を学び始めたが、建築の世界では有名な映画だ。リドリー・スコットの描く近未来が、新宿歌舞伎町をモチーフに描かれたのだ。近景に、アジア的都市の雑踏。遠景に…

映画 この世界の片隅に

2016年。片渕須直監督。戦時の生活がどういうものであったか、をこんなにしみじみと見せてくれる映画の存在に感謝したい。食糧がなくても、砲弾が落ちてきても、笑って暮らす力は人間の底から湧いてくる。主人公のすずは、ぼうっとしている性格といえば…

映画 メッセージ(Arrival)

2015年。ドゥニ・ビルヌーブ監督。地球へ飛来したエイリアンに対し、なぜ地球へ来たかを聴くために女性言語学者がコミュニケーションを図る。エイリアンとのコミュニケーション。人が生まれてくる意味は、きっとここにある。

映画 沈黙

2017年。マーティン・スコセッシ監督。

映画 星影のワルツ

撮影技師の監督する映画は、失敗することが多い、と、この映画の批評のどこかに書いてあった。この映画は、そうではない、という意味だったかもしれない。成功の定義もよくわからない。いろんな意味で、よくわからない映画だった。よくわからないまま、最後…

映画 二つ目の窓

2014年。河荑直美監督。東京の暮らしと、奄美大島の島暮らし。人は何かが動いていないと暮らしていけないのかもしれない。東京では時間が止まっていても、モノが動く、人が動く。島暮らしでは、モノも、人も動かない。だから、時間の動きに心が向くのか…

映画 永い言い訳

2016年。西川美和監督。二人の極端に違う性格が、窮地に立たされたお互いを救い合う。二人の部屋について、前田有一氏が書いていたが、混沌と荒廃は似ているようで違う、と書いてあった。その違いは、愛する者との暮らしがあるかどうか、だと。逆に言え…

映画 七夜待

2008年。河荑直美監督。タイを旅行する長谷川京子演じる日本女性が、小さな村に連れていかれる。タイはぼくが20歳のときに、よい旅をさせてもらった国だ。そのときが昨日のように思い出された。リアルとはつまり、こんな変な経験だよな、と映画を見て納…

映画 ウルフ・オブ・ウォールストリート

2013年。マーティン・スコセッシ監督。株式仲介会社の経営者だったジョーダン・ベルフォートのハチャメチャな人生。金を儲けたいという欲望はどこにもたどり着かないのだということに、改めて納得。儲ける手段を生み出すことに愉しみはあるのだ。壮大な…

映画 朱花の月

2011年。河瀬直美監督。 藤原京の発掘現場の映像に、海の音が重なる。海の波は、月を想起させ、月は女性を象徴する。 万葉の昔から、二人の男は一人の女を取り合ってきた。古都・奈良を舞台に、それが今も日常であることを示す物語が描かれる。 「何もし…

映画 永遠と一日

1998年。イタリア・フランス・ギリシャ合作。テオ・アンゲロプロス監督。難民の子供と年老いた詩人の友情。死の近さに関していえば、二人は同じところにいる。そして、言葉を買う詩人ソロモスのように、母国にいようといまいと、彼らは亡命人なのだ。彷…