gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

海外

ひとりで草原に立つこと

四方が地平線だということは、私は世界の真ん中に立っていることになる。どこへ逃げようもない。どんなに自転車を漕いでも、真ん中のままだ。喉が渇いてはいるが、腹は減っていない。大丈夫。まだ、缶ジュースが一本ある。方向は間違えようがない。太陽を背…

サハラ砂漠の嵐

チュニジア・ドゥーズ。サハラ砂漠の入口の町の一つだ。砂漠の入口を気楽に散歩していたときのことである。突然、空が暗くなり、砂嵐が凄い勢いでやってきた。砂の低い丘にいた私は、しゃがむより他になかった。その間はたったの30秒くらいだったと思うが、…

バルセロナパビリオン

1929年、ミース・ファンデルローエ設計。バルセロナ万博のドイツ館として建てられた。垂直と水平だけで成り立つシンプルな空間構成。しかし、素材の模様は過激ですらある。アルジェリアで切り出した大理石の模様が対称形に並べられて、女性の唇を思わせ…

シカゴ

シカゴは建築を観るために建築学科のクラスメートたちと訪れた。10数年過ぎて、写真は残っているがあまり記憶に残っていない。自分の視点を明確に持っていなかったのだろう。思い出すのは、入った日本食レストランのスタッフが全員中国人だったことくらいだ…

人口密度

16年前の写真で、町の名前までは定かでないが、モロッコであることは確実である。町は多分、フェズ。丘から町を見下ろすと、建物の密集度に圧倒される。道が全く見えない。緑も少ない。建物のみがひしめいている。どうしてこんなに密集して暮さねばならな…

カッパドキアのレンタカー

レンタカーはフィアットだった。トルコ・カッパドキアの広大な土地をレンタカーで旅するのは正解だった。ただひとつ、難がある。フィアットのギアがバックだけ入らないのである。バックにギアが入らない車に乗ったことがある人はいるだろうか。当たり前だが…

砂漠に水をまく

目の前に果てしなく広がるサハラ砂漠。そこへ向かって足を踏み出す気持ちを憶えている。雲のない青い空。下に広がるのはうすいベージュ。美しいコントラストだ。だが、それは死の世界だ。足を踏み出せば、自分もまた、砂粒になるだろう。息苦しさとすがすが…

平手打ち

私が自転車で走った内モンゴルの草原は中国領内である。ある町にたどり着いたときに、宿泊所へ中国人の新聞記者が取材に来た。筆談で話ができるのは便利だ。彼は、ひとしきり自分の旅の目的などを聞いた後に、戦時中に何某という日本軍の軍人がこの町で中国…

タンザニアの新札 その2

1日、2日と経つうちに、旧札ではものを買えない場所が増えてきた。1週間の期限を待たないうちに、旧札はゴミに変わってしまうかもしれなかった。どうにかして新札に交換しなければならない。問題は二つ。デクラレーションフォームの書換えをして、持って…

タンザニアの新札 その1

1985年。タンザニアを旅行中に100シリング紙幣の新札が発行された。100シリング紙幣は日本で言えば1万円札にあたる、最も大きな金額の紙幣だ。なんと1週間のうちに銀行で旧紙幣を新紙幣に交換しないと、旧紙幣は無効になってしまうという。むち…

楽器に関する思い出

大学を出て、大きな工事現場に配属されたとき、サックスを始めた。ジャズが好きで憧れていた楽器だった。それに、周囲に迷惑をかけずに練習できる環境という条件がそろったからである。もとより、先生についてきちんと習う、ということが苦手な私は、我流だ…

はじめてオーロラを見たとき

陽向と一緒に時間を過ごしていると、彼が初めて何かを見る、という場面に出くわす。初めて海を見たとき、初めて雪を見たとき、初めてトラを見たとき、・・・。その度に、彼の一瞬の放心と、直後の好奇心を認めた。アラスカで初めてオーロラを見たとき、私は24…

バルセロナ

人間をクリエイティブにする町をつくりたい。クリエイティブになるとは、「前を向いて、自分の頭で考える」ということだと思う。バルセロナは、少なくとも自分をクリエイティブにしてくれた町である。そこには混沌が点在していた。それなりに秩序の保たれた…

偶然と必然

「いちばん怖かった体験は?」自分が海外を旅していた時期があることを知って、その人はこんな質問をしてくる。タンザニアで警官に銃で殴りかかられたり、モンゴルの草原を自転車で旅して野犬に追いかけられたり、中国の公安に拘束されたり、ボルネオ島でバ…

寒さについて

トルコのイースタンブールは、寒さから逃れる場所がなかった。泊った安宿は、暖房がなく、毛布にくるまる以外に暖をとる方法がない。ただ動かずに、ガタガタと震える一夜。寒い国で国際競争力を持つ生産的な活動をし、豊かな生活を築くということは並大抵の…

セビーチェ

ペルー、エクアドル、コロンビアを旅行したとき、食堂へ入ったら、メニューの上で適当に指をさして料理を頼んだ。かたい肉と豆の料理だった。毎回、頼んだことのない文字を指差した。しかし、出てくるのは、いつも同じ、かたい肉と豆の料理だった。2週間ほ…

行きたいところ

27カ国旅をした私は、「次はどこへ行きたいですか」と訊かれることがある。次に行きたい国は、特別にはない。同時に、どこへでも行きたい。できれば、そこで必要とされたい。ずっと、そんな人になりたかった。

トロント

私がアメリカにいた1992〜1996年。カナダ・トロントの街が好きな人は多かった。安全で、コンパクトにまとまっていて、適度に整理された街である。そう、何事においても「適度に」という表現がふさわしい。写真は、街のスカイラインをトロント島から撮…

buy one, get one FREE!

アメリカに留学中、日本の大学で同級生だった友人が奥さんと訪ねてくれた。奥さんが料理をしてくださるということで、スーパーマーケットへ買い物に行った。アップルパイが山積みになったカートに、巨大な文字で「FREE!(タダ)」と書いたポップが付いている…

潮の香り

ナイアガラ・オン・ザ・レイクは、ナイアガラの滝をカナダ側へ渡って、車で30分ほどナイアガラ川沿いを下り、オンタリオ湖に流れ込む場所にある、おとぎの国のような、かわいい町だ。日本で言えば、軽井沢や清滝のような町だ。いわゆる観光地である。バッ…

モンゴルの草原で出会った少女

夏の日にモンゴルの草原を自転車で旅したときのこと。朝走り出したときは舗装された道だったのが、途中でダートになり、最後には道自体がなくなって、草原を走った。しばらくは、走れる状態だったが、だんだんと草の量が減っていき、とうとう砂の上を走るこ…

公然と差別される

1994年、チュニジアを旅したとき。砂漠を旅行するツアーの料金を調べに、道連れのフランス人たちと、地元の旅行会社へ入った。料金表を見せてもらって唖然とした。私たちはランク分けされていた。上から料金の安い順。つまり、歓迎されている順。Aグル…

暴力的なもの

チュニジアの海辺のリゾート地スースで、ひとり海辺を散歩した。フランス人を中心にたくさんのヨーロッパ人が休暇を過ごす町である。チュニジア人が集まっている場所を通りがかると、数人の40代くらいの男たちのグループから声がかかった。彼らは昼間から…

キプロス島

1992年12月、イスタンブールから空路でキプロス島へ入った。トルコから入るとなると、北キプロスに入ることになる。キプロス島は、ギリシア系住民とトルコ系住民が混住する複合民族国家だったが、1974年、両民族の間で殺し合った末、現在では、南…

モロッコ・フェズ

フェズのメディナ(迷宮)を歩きまわると、10歳くらいの少年が声をかけてくる。ガイドをして、お金を稼ぐためだ。道に迷うことが趣味な私には、ガイドは必要ない。だから、「友達としてなら、一緒に歩こう」と提案すると、「わかった」と言う。とにかく、二…

遠いということ

タンザニアのケニヤ国境近くの小さな町のこと。もう名前も忘れてしまった。部屋を片付けに来てくれたのは、10歳くらいの少年だった。片付け終わった後に、彼は少し緊張しながら、私に聞いてきた。「これ、もらってもいいですか?」見ると、蚊取り線香を置…

Ksar Haddada

チュニジアには、土でつくられた3〜4階建の穀物倉庫が、歴史的建造物としてたくさん残されている。Ksar Haddadaは、その中で最も美しいものだと思う。少なくとも、私が見た中では。強い日差しがフリーハンドな造形にくっきりとした陰影をつける。白く塗ら…

スペインのとある洞窟

プエルトリコ人2人、アメリカ人1人、日本人1人で車でスペインを旅した。私にはろくな説明もなく、プエルトリコ人が調べた場所に突然到着する。世にも美しい洞窟だった。しかし、私はこれがどこなのか知らない。バルセロナとマドリードの間にある、という…

工場が爆破される

「明朝、近くの工場が取り壊しのため、爆破されます。みなさん、見に行きましょう。」ニューヨーク州立大学建築学部のオットー教授が、いつもの弾んだ声でアナウンスした。明朝、工場の前の道路には人だかりができていた。子供からお年寄りまでいる。この工…

サマータイム

ニューヨーク州バッファローには、サマータイムがあった。(私がいた頃は4月第1日曜日から10月最終日曜日までだった。2007年に変更があったらしい。)日本でも導入の議論があるが、もともと緯度が高くて、夏と冬の日照時間の差が大きい国で、夏の日照時間を…