gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

キプロス島

1992年12月、イスタンブールから空路でキプロス島へ入った。トルコから入るとなると、北キプロスに入ることになる。

キプロス島は、ギリシア系住民とトルコ系住民が混住する複合民族国家だったが、1974年、両民族の間で殺し合った末、現在では、南にギリシア系住民のキプロス共和国、北にトルコ系住民の北キプロス・トルコ共和国に分断されている。

北キプロスは、トルコにしか承認されていない国で経済的に貧しい。12月のどんよりとした気候もあいまって、なんともさびしい感じが漂っていた。首都ニコシアには、銃弾の痕が未だに多く見られた。

メモリアル・ミュージアムと看板が出ている民家に入ったことを、鮮明に憶えている。そこには、ただがらんとして誰もいない家があって、そこでギリシア系の家族がトルコ系の人々によって(記憶が定かではなくて、申し訳ありませんが、逆かもしれません。しかし、逆であれば、ナショナリズムに火がつくだけなので、そうではなかったような気がしています)虐殺された、と英語で書いてあった。

ここで誰が殺された、あちらでは誰が殺された、と淡々と書いてあった。その建物の中には、入口の管理人以外は私一人で、あまりにも静かだった。身の毛がよだつ思いだったが、平静を装って外に出た。

私のキプロス島の記憶は、そこに集約されている。何日滞在したかも思い出せないが、キプロス島へ行った意義は、その記憶だけで充分すぎるほどだ。