大学を出て、大きな工事現場に配属されたとき、サックスを始めた。ジャズが好きで憧れていた楽器だった。それに、周囲に迷惑をかけずに練習できる環境という条件がそろったからである。
もとより、先生についてきちんと習う、ということが苦手な私は、我流だったが、そのうちになんとなく曲が吹けるようになった。
その後、アメリカへ留学することになった。本場の国である。サックスによってどのように世界が広がるだろうか、とサックスへのモーチベーションはますます高まった。
また広大なアメリカであれば、人目を気にせずサックスを鳴らせるところはどこでもあるだろう、と考えた。
だが、地方都市バッファローへ着くと、敷地は広大でも、人目を気にせず、という場所がなかなか見当たらない。サックスは、ずっとケースに入ったままだった。
これではいかん、夜の公園で吹こう、と思い立った。家から車で5分のところに大きな公園があった。サックスを車に積んで、ひとり静かに出かけた。
車で公園へ入ろうとすると、制服のガードマンが懐中電灯をこちらへ向けて寄ってきた。夜中、ひとりで公園へ入ろうとする東洋人は、彼にとって不審人物でしかなかった。
「人種のるつぼ」の国家では、怪しく見えかねない行動は厳禁である。それを思い知らされた。どこもかしこもそのような目でガードされている。
結局、サックスは、その後もケースから出されることはなかった。あの、音の振動が自分の体に共鳴する感覚を、もう20年近く経験していない。