世の中には、自由に表現することが難しい人物がいる。ヒトラーはその代表的な人物だろう。この人の命令により、あまりにも多くの命が失われたからである。遺族も相当な数に上るだろう。その人たちの巨大な憎しみを前提として、彼を表現しなければならないがために、もし、彼が愛されるべき一面を持っていたとしても、それをストレートに表現することは許されない空気が漂う。
そのことについては、フェアではないと思う。この人物を、フェアな視線で、照らし出す作業が、同じ歴史を繰り返さないために重要なことは言うまでもないだろう。
ヒトラーがその辺にいるオッサンと変わらないような人物だったとしたら・・・、と仮定してみることこそ、意義のあることである。
この映画の中で、ヒトラーは少なくとも人間として描かれている。愛すべき一面を持っていた、というほどではないが、少なくとも、女性にはやさしいし、人一倍スケベなケダモノではない。ただ、目の前にいない人間は、別にどこで誰が死んでも関係ない、と思っている。
そのような人間は、おそらく現在もごまんといる。ヒトラーと同じ権力を持っていないだけである。しかも、彼らの多くは、ヒトラーのような特徴ある外観を持たず、ヒツジの顔をしている。
本当に人類は歴史から何かを学ぶことができるのだろうか?