gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

考察

GRIDFRAME 21年目のこれから その5

5.GRIDFRAMEの空間へ今後、これまで書いてきたことを、全員が自覚的につくる作業に取り組んでいく 個人的には、スペインで経験したMirallesやBofilの空間にヒントがあるように思われるが、 今後、GRIDFRAMEの空間の独自性を強めていきたいと思っているこれ…

GRIDFRAME 21年目のこれから その4

3.方法①フレーミング フレーミングとは、ひとつの空間の中に、 とりかえ自由な要素と、とりかえのきかない要素を共存させる方法であるとりかえ自由な要素でつくられた空間に、 例えば、SOTOCHIKUの壁のようなとりかえのきかない要素を持ち込むとき、 フレ…

GRIDFRAME 21年目のこれから その3

2.目的 ①社会へのメリット 〜争いのない世界へ二つの世界は、それぞれが論理的に閉じているため、言葉の上では結合しづらい よって、どちらか一つの世界に偏った人同士では、言葉の通じ合わない両者が憎みあい、 争いあうという歴史が繰り返されてきたので…

GRIDFRAME 21年目のこれから その2

空間は、これら二つの世界を見えやすくする数少ないメディアのひとつだと思う よって、それぞれの世界認識を前提に空間をつくることを自分たちに課したい <とりかえ自由な世界認識でつくられる空間>・目的に合致したものだけで構成される(合目的性)・そ…

GRIDFRAME 21年目のこれから その1

かけがえのない人、かけがえのないもの、かけがえのない場所、かけがえのない時間、そして、かけがえのない自分はどこから来るのか? 1.言葉の定義 ぼくらは2つの世界を同時に生きていて、認識によってそれらを行ったり来たりしている <とりかえ自由な世…

二つの人格

とりかえのきかない、を唱えつつ、ぼくだって、コーヒーを飲むのに、チェーン店に行きたいときもある。 自分を埋没させたいくらいに、疲れているときだ。 でも、疲れているときだって、自分の人生の一部であることに変わりはない。 コカ・コーラが無性に飲み…

第一歩

大きなことをいうつもりはない。ぼくが自分の人生の中でできることは、こうすればみんながよい方へ向かうのではないか、と提案することのみだ。ほんの小さな一歩でもいい。その方向を指し示すものを提示できれば、よい。 ← 創造性の連鎖でつくる店舗デザイン…

演じること

ぼくらは、いつも立場に応じて役を演じながら生きている。誰も他者がいなくなったとしても、ぼくらはこうありたい存在を演じる。だから、素の自分なんて、明確なものはどこにもなくて、誰を演じていたとしても、総合して自分なのだ。ぼくらは、演じたい人間…

それぞれの器

陽向の担任の先生との面談で。先生曰く、・・・あることを人に理解してもらおうとすることは、器に水を注ぐことに似ている。その器がいっぱいになって、溢れ出すとき、人は初めてそれが腑に落ちる。器の大きさは人それぞれです。陽向くんの器は大きくて、何…

煩悶

森達也は、近頃のメディアの劣化の背景には葛藤と煩悶の欠落がある、と語っている。正義と悪の二元論を強調し、分かりやすくするあまり、制作側が、商業主義と己の志が乖離することに、何も感じなくなってしまった、という。どの仕事にも、同じような乖離が…

ドキュメンタリー

難しさ

生きることは難しいのだろうか。きっと「難しい」というのは正しくない。生きることは「簡単ではない」といった方が正しいだろう。生かされていることがだんだん分かってくるからだ。能動的に動かせる、と思ったときには、天はそっぽを向いている。やるべき…

できないこと

楳図かずおや水木しげるに、「もっと爽やかで清々しい絵を描いて」と注文するようなことを、平気で人は他人に命ずることがある。それは、命ずるその人の鑑識眼の欠如ともいえるが、それ以上に、命ぜられる人のアピールの欠如が問題だ。自分のできないことを…

外部であり続けるために

外部であり続けるためには、その外部性を公言してはならない。言葉になることで、外部は内部に取り込まれてしまうからだ。一方で、分かりやすくなければ、思いが実現する機会を得ることができない。ならば、言葉では、本質とは少しずらしたかたちで、わかり…

常民

柳田国男の「常民」という言葉について、柄谷行人が1986年に次のように書いている。 柳田の「綜合性」は、むしろ、分解される前のそれであり、そして、今後に綜合されるべくもない何かなのである。たとえば、柳田は「怪異なもの」を排除したのではない。…

意志

壮麗なる蛇、と森敦は書いた。何か大きなものをを背負っている、と自覚をした瞬間から、天は彼を試そうとする。誰もが背負っているのかどうかはわからない。自由であろうとすることが、不自由を生む。その先に、大きな、次元の一つ高い自由が待っているのか…

美しさを目的としないもの

坂口安吾が、刑務所の外観について「美しさを目的としないものは美しい」と書いた文章がある。ぼくもそのように感じられる空間を目指して、この仕事を続けている。結局、美しさを目的としていて、矛盾のように聞こえるかもしれないが、上述の言葉をこう言い…

本物とは何か

1990年代、アメリカで建築を学んだぼくらは、張りぼてでどこかのような世界をつくることを、ディズニーランド的建築と呼んで、さげすんだ。安易で、哲学がない。閉じられていて、外部がない。予定調和的で、歴史性がない。・・・いろんな言葉で批判する…

アウトサイダー

事業を成功に導くことを考えるとき、二つの種類に分けて考えるべきだろう。ひとつは、短期的成功。もう一つは、長期的成功。短期的成功の典型は、原宿の行列のできるお店の類で、いつか飽きられて終わる。火がついている間に利益を得る。それでいい、と。長…

治癒力

風邪気味の体を布団にくるまって温める。半分夢見ているように、ぼくには、SOTOCHIKUの空間が心に浮かんでいる。朽ちて崩れていく柱が、つくられた周囲の空間の中に、ひっそりと佇む。静かなミニマル音楽をバックに、その空間に心が反応する。美し…

大事なことを実現する方法

具体性

なぜ行き詰るのか

大量生産再考

世界がよくなっていくために、モノがどのようにつくられるべきか、を考えることは、モノをつくる人間にとっては当然の義務だと思う。ぼくは、機械によってそのほとんどがつくられる大量生産品のみに囲まれた生活はさびしいと感じるし、だからといって、精魂…

隠れた一次的欲求

子供たちの空間

大人がつくる子供たちの空間は、どうも苦手だ。あの、過剰に守られるような空間がイヤだ。大人の空間で、普通に育ってきた時代がよい。子供たちは、その能力を持って生まれてきているのに、と思う。結局、大人の仕事が、責任を逃れることを第一義になされる…

荒廃と希望

荒廃した建物に人が集まって、そこで積極的に生きようとする姿勢が生まれると、その途端に、荒廃という言葉が消えてしまう。そこには相変わらず混沌があるけれど、その混沌は、むしろ人に希望を与える力を持つのだろう。混沌に秩序を与えるのが人の本然なの…

見えない未来

未来を帰納法で閉じていくのか、演繹法で開いていくのか?演繹法によって得られたアイディアで未来を拓こうとする姿勢を、帰納法で見て「どうせ」「所詮」などと言って大人ぶるのは簡単だ。でも、自分がそんな簡単な話をしているのに気づかない瞬間があるの…

素因数分解

なんとなく数字のことを考えている。ひとりの人間が、ある整数で表されると考えて、その数字を小さな素数から割りながら素因数分解していくときに、最後に残る素数がその人の本質だとする。例えば、72という人がいれば、72=2^3x3^2。その人の本質は、3。84…

日本語の音

日本語の音が含みこむニュアンスは、翻訳不可能なものだ。フランス語にも、相通ずるようなニュアンスが漂う気がする。フランスで日本的なものが好まれる理由はここにひとつあるのだろう。 ← 創造性の連鎖でつくる店舗デザイン:グリッドフレーム ← コラボで…