演繹法によって得られたアイディアで未来を拓こうとする姿勢を、帰納法で見て「どうせ」「所詮」などと言って大人ぶるのは簡単だ。
でも、自分がそんな簡単な話をしているのに気づかない瞬間があるのか、ついつい上から話すことになってしまう人が多い。
まあ、どんなアイディアにも、全社会的に力を貸していこう、という世の中が、一概によいと言えないのも事実だ。
フィルターをかけるためには、やはり帰納法が主になってしまうのはしかたがない。
とはいえ、人が自らの存在意義を実感しつつ生きるには、演繹的に未来へ向かう姿勢が大切だ。
子供達には、必ずその姿勢が大切なのではないだろうか?
見えない未来を自分が拓いていける、という信念を育む社会づくりのために、大人が、できるかできないか、ぎりぎりのところを攻めていく姿勢は必要だ。