世界がよくなっていくために、モノがどのようにつくられるべきか、を考えることは、モノをつくる人間にとっては当然の義務だと思う。
ぼくは、機械によってそのほとんどがつくられる大量生産品のみに囲まれた生活はさびしいと感じるし、だからといって、精魂込めて丁寧にモノづくりをする、ということをみんながやれば世界がよくなるとも思っていない。
たぶん、たくさんの人と同じだ。
だから、それを組み合わせたい、と考えている。
これも、たくさんの人と同じだ。
プロダクトに踏み込まないのは、不特定の人のためにつくることがぼくにはできないと考えているからだ。
だれかのとんがっている部分を抽出し、それをかたちにする。
それは、決して、ぼくのとんがっている部分ではない。