なんとなく数字のことを考えている。
ひとりの人間が、ある整数で表されると考えて、その数字を小さな素数から割りながら素因数分解していくときに、最後に残る素数がその人の本質だとする。
例えば、72という人がいれば、72=2^3x3^2。その人の本質は、3。
84という人がいれば、84=2^2x3^1x7^1。その人の本質は、7。
83という人がいれば、素数だから、83=83^1。その人の本質は、83。
でも、83として生まれたら、他の人との公約数が少ないから、社会の中で生きていくのが難しい。
そこで、近くの数字で、たくさんの約数をもつ、84に変わってもらおう、という教育が施される。
結果、教育が成功を収めると、君の本質は7だ、ということに変えられる。7ならばまだよい。
71の素数で生まれた人は、教育によって、72に変換される。
その人の本質は、3になってしまうのだ。
生まれながら、本質が2だったり、3だったりの人もいる。
きっとそんな人たちは、世の中にすうっと入り込んでうまく対応ができる人だろう。
それは、それで素晴らしい。
だが、多様な価値とは、その人の元々の本質を社会に反映させることではないか。
始原を取り戻せ、という声がこだまする。