森達也は、近頃のメディアの劣化の背景には葛藤と煩悶の欠落がある、と語っている。
正義と悪の二元論を強調し、分かりやすくするあまり、制作側が、商業主義と己の志が乖離することに、何も感じなくなってしまった、という。
どの仕事にも、同じような乖離があり、それに対する煩悶がある。
分かりやすい価値に囲まれる空間でよいのか?
ソトチクは、まさに煩悶から来たものだ。
そこに、分かりやすいものはない。けれど、偽物の中で生きていることを感じる力が人には常に残されている。
インスタントなものに囲まれていることに、拒否反応を示す自分に気づく力が。
そのことを証明するものになるだろう。