gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

犠牲

世界の人々ひとりひとりが、理想的な世界の姿を共有することが、公共教育の土台となるべきだろう。

 

だが、それについて世界各国のトップが集まって話し合うことはないようだ。カントのコスモポリタニズムに端を発してつくられた国連でもたぶんそんな話はなされていない。単純に考えて、それは不思議なことではないだろうか。

 

もちろん、その答えを出すのは簡単ではないけれど、そもそも各国の利益をそれぞれが優先しつつ話し合う限り、理想世界についての話になるはずがない。

 

今の体制だと、犠牲が必要となる。いくつかの国が不利益を被ることを覚悟で、各国首脳が世界市民として話し合う場は、今のところできそうにない。

 

国境のない環境問題が露呈して、初めてその土台が見えてきたのかもしれない。

 

このように、しょうがない理由でもなければ、世界の理想の姿は興味を持たれないのか。

 

SNSによって、海外の人々とのコミュニケーションが日常になってきた。これも、世界の理想の姿を共有することのできる可能性を有しているだろう。

 

子供たちが世界の理想の姿をつくりあげ、共有することが大切だ。

 

大人として、できる限りのことをしたい。