ディズニーランドの擬岩を、すごい、と喜ぶ人がいる。
ぼくは昔ほどそれを真っ向から否定するつもりはないが、その予定調和的な存在をありがたいとは思えない。
ぼくらも空間の一部をわざと汚したりして雰囲気をつくってきた経験はある。それはディズニーランドと変わらない。
けれど、空間全体をそのようにつくってきたことはない。
予定調和的につくった部分は、エネルギー的に低い。
エネルギーの高いものとは、リアルなものだ。独自の時間が作用したもの、独自の伝えるべき物語を持つものだ。
SOTOCHIKU素材はその最高峰だと思う。物語の広がりとしては、匿名であったほうがよいだろう。
ぼくも、ディズニーランドは愉しいと思う。けれど、ディズニーランドの外には、出てきてほしくない世界だ。