仮に、「芸術とはとりかえのきかない世界に属するものだ」と定義しよう
「芸術には二つのジャンルがある」と森敦は言っている
一つは、絵画、彫刻や音楽などの、否応もなく目や耳に入ってくる、強制力をもつところのジャンル
もう一つは、物語のように、1ページずつめくってもらわねばならぬジャンル
本と空間は後者だ
無視することだってできるし、どこまでも入っていくことだってできる
「意味を取り去らねば構造できない、構造できなければ新しい意味を得ることができない」とは、
「とりかえのきく世界を手段として経由しなければ、とりかえのきかない世界という目的にはにたどり着けない」ということである
つまりは、全人口のうちの大多数が、手段としての労働に従事し、それが人生の時間の大部分を占めるのであれば、死ぬときになって、自分をとりかえのきく存在のように感じてしまっても不思議はない
けれど、もちろん、すべての存在は、とりかえのきく存在であると同時に、とりかえのきかない存在である
(つづく)