gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

180万年前の介護

180万年前の遺跡に、介護を受けて生活をしていたはずの障碍のある人の骨が見つかったという。

 

大昔から、人類は障碍者を見捨てなかったことの証明である。

 

どうして介護したのか?

 

傍にあるその生命に健やかであってほしいと願うからだろう。

 

それはきっと、シンプルに自らの中から湧き起こるものとしての願いだ。

 

では、なぜ健やかであってほしいと願うのか。

 

人間は存在するだけで何をしなくても、常に余りある永遠を手にしているからだ。

 

だから、誰にもさらなる永遠を手にするために大きな機械の歯車になることを強制される必要などない。

 

これは宗教の教えではない。現代社会で詰め込まれた常識をいったん横に置いたときに見えてくる現実だ。

 

津久井やまゆり園事件の植松聖氏の犯行を批判しながら、自らに突き付けられる疑問に対して答えに窮している人はぼくを含めて大勢いるだろう。

 

その答えは、たぶんここにしかない。

 

 

映画 ミスター・ノーバディ

2009年。フランス、ドイツ、カナダ、ベルギー。なんとアメリカ資本は入っていない。「八日目」のジャコ・ヴァン・ドルマル監督。

 

ハリウッド的な壮大さがあるが、もう技術は世界に行き渡っているんだなあ。

 

選択一つで変わってしまった自分のさまざまな人生は、同時にパラレルワールドで存在している、という視点。

 

そのすべての人生が、他人からはどう見えたとしても、同じ価値があった、と。

 

どれが本当か?という問いには意味がなく、どれも自分に嘘をつかないで生きればよい。

 

相対的な価値に背を向けるとき、誰もがノーバディになる。

 

それは、生の究極の理想か?

 

 

時間の提案は現実を変えるか

空間に流れる時間を提案するのは、名だたる建築家がやってきたことだと思う。

 

だが、それが現実をどう変えただろうか?

 

詩としての建築であれば、それが現実に対してどのような効果を与えたかを問われることは少ない。

 

しかし、今の時代、時間をどう捉えるかの問題ははのっぴきならないところに来ている。

 

このままでは、人間は愉しく生きることができない。

 

空間に流れる時間を提案するとき、もっと具体的に、それが現実にどう影響を与えるか、その効果をイメージし、結果を見つめていきたい。

 

 

 

 

映画 シッコ

2007年。アメリカ。マイケル・ムーア監督。

 

医療保険制度。アメリカがカナダ・イギリス・フランス・キューバと比べて、どんなに酷いかを描く。

 

だが、困っているのは病気の人であって、健康な人は困っていない。弱者側からつくられた映画である。

 

健康な人が病気で困っている人を支える構造はもちろんまちがっていないが、お金全体を見たときに、その負担は適正だろうか?と日本の社会保険制度のことを思う。

 

経営者なら、そう思わない人は少ないだろう。だって、中小企業の経営は、社会保険制度によって逼迫している現実があるのだから。

 

社会民主主義それ自体は理想だと思うが、現状、どこからお金を集めてどこへ配分するかのバランスが悪い。そのバランスの悪さをまずは把握しようという気概すら、政治に感じられないのは、やはり財界との癒着があるからだろう。

 

国に頼れないとすれば、保険会社に頼らねばならないアメリカ。保険会社の体質自体は、会社である限り国によって大きく違うわけではないと思う。できるだけお金を掃き出さないで済むような動きをする。

 

だが、困っている人を見殺しにするのは、国だろうが民間だろうが変わらない。事例はいくらでも出てくるだろう。自分の立場を守ることが、自分の生活を守ることになる。それで弱者が死ぬのはかわいそうだが、目をつぶる。

 

麻生大臣に好意はないが、以前「医者に通わない老人に報奨金を出す」と言っていたのは大賛成だった。真剣に考えてもらうべきだと思う。健康であるよう努力することをパブリックが支える制度こそ、必要ではないだろうか?

 

例えば、ジムやストレッチに通うと一部は国が負担してくれるとか、毎年の健康診断の結果が昨年よりも上がっていると健康保険料が一部返金されるとか。。。

 

個人がパブリックに貢献する資本である、それぞれの健康状態をパブリックが放置しすぎだと思う。港区には健康診断のサービスがあるが、もっとそれ以前のアクティブなところでのサポートが欲しい。

 

マイケル・ムーア監督の切れ味はいつも鋭い。問題の提起能力は随一だが、シロクロがハッキリしすぎていて、全体に目がいかない。水戸黄門を見ているようだ。もちろん、そんなことは当の本人は百も承知で、だからこそ大ヒットするのだろうけれど。

 

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     

時を生む住居 7

もう一度、強調したい。人は誰でも生きている限り、体一つになっても常に余りある永遠を手にしている。だから、さらなる永遠を手にするために大きな機械の歯車になることを強制される必要などない。


そのことを実感するには、それぞれの人が自分にとっての「時間」を見つめる機会を持っていただきたい、と願う。いつか、ぼくらのつくる空間を体験していただきたい。

 

時を生む住居 6

リノベーションは解体から始まる。いいかえれば、固まったものが解かれて散っていく「ほどろ」から始まる。

2019年から住宅のリノベーションを始めた。KZ邸のリノベーションではカタログ建材でつくられた壁が取り払われて、下地のコンクリートや鉄筋があらわになった瞬間を見て、依頼主が笑顔でこう仰った。「すでに、いい感じになっていますね。」依頼主は、時間が生まれたのを感受されたのだと思う。


ぼくも笑って応えた。「ええ、壊れるほど、良くなりますね」


一般に行われているリノベーションでは、あらわになった下地の材料を、また新たな建材で覆い隠して、生まれた時間を消滅させて凝固したものが完成して工事を終える。


ぼくらはそうしない。解かれて動き始めた糸の自由な戯れに任せて、その動きに寄り添いながら、新しい何かをつくっていく。つくりながら考える。これが「創造性の連鎖」である。もちろん、あらわになった下地がそのまま残ることも多い。依頼主に空間を引き渡した後も、生まれた時間は消えることなく、そこで生き続ける。


また、ぼくらは新しくつくる空間に既に長い時間を過ごしたものを空間づくりの素材として取り入れていく活動SOTOCHIKUを進めている。


さまざまな時間を過ごした素材が一つの空間に集結し、互いに複雑に呼応し合うことにより、人間が「時間という定規の、等間隔に刻まれた目盛りの一点に産み落とされた」という認識を壊したいと思っている。


・・・・・

 

時を生む住居 5

なぜこんなことになってしまうのか。


ぼくら人間がこの世界に体一つで生まれてきたとき、皆すでに永遠性を内包している。人間一人ひとりが、他の動物から見ればほとんど神のごとく圧倒的に優れた能力の持ち主であり、その意味では個人差などわずかな誤差に過ぎない。豊富な資源に満ちている美しい地球環境も含めて、本来ぼくらは何かを求める必要がないくらいに与えられて生まれてくる。そのような認識を前提とすれば、古代の生活のように、時間とは「永遠を基盤として、それが解かれるときに生まれ、やがて結ばれたときに消えるもの」として捉えることができるだろう。


だが現代社会は、体一つの人間を何も持たない数字のゼロと見なす。そのために永遠を常に渇望して生産に駆り立てられ、数字を増やそうとする。数字に上限はなく、いくら大きな数字を手に入れようと永遠に届くことはない。だから、人々はいつも不安を抱えている。もっと生産しなければ、と均質な時間の目盛りの上でひたすら機械のように働き続ける。


この定規の上から、降りるにはどうすればよいか?


そのために、ぼくらは空間づくりの中でなにができるだろうか。


・・・・・

 

時を生む住居 4

「人生とは、なにかを計画している時に起こってしまう"別の出来事"のことをいう。」

 

ある映画でこんな言葉があった。古代の時間とは、まさにこの「別の出来事」のときに流れるものだろう。だから、その時間の中には、嬉しいことも悲しいことも含めての「人生」がある。

 

現代社会は計画している時に起こってしまう「別の出来事」を嫌う。ネガティブなことが起こらないうちにその原因を取り除こうとする努力は、それを徹底すればするほど、同時にポジティブなことも失ってしまう結果をもたらしてしまう。

 

例えば住宅についていえば、ハウスメーカーは 全てのパーツを自社カタログから選ぶシステムを完成している。そのため、「別の出来事」が入り込む余地がほとんどない。そのことによって、品質が保証され、工程や見積がずれる要因もほとんどないから、依頼主は安心して竣工を待つことができる。一方で、そのメーカーのつくる住宅は全て同じ仕様でつくられるため、依頼主のためのオリジナリティへの驚きや感動はほとんど期待できない。


同じことがあらゆる分野で当てはまる。ぼくはこのことに強い危機感を抱いている。もし、現代社会における計画すべてがそのまま実現するようになれば、人間は時間を失うと同時に、それぞれの「人生」を失うことになりはしないか。


・・・・・

 

時を生む住居 3

家の中で夜明けに目覚め、外へ出かけ、帰宅して、夜更けに眠る。

 

その一般の生活スタイルが、現代と古代とで著しく違うわけではないだろう。

 

だが、現代の生活が決められた時間の中での「生産性」を目標としているのに対し、古代の生活には別の価値観があったのではないか。

 

生産とは逆の「解体」によって時間が生まれ、バラバラに解(ほど)けたものが「結合」することで時間が消える。それが古代の時間であるならば、そこには固まって動かない永遠性が基盤をなしていることが分かる。

 

その永遠とは例えば、夜の闇であり、盤石な大地であり、同じく盤石な地位・役職であり、天賦の才能であり、安定した生活であり、計画通りに実現する未来もそうだと言えるかもしれない。さらには、不変の愛やその根底にある悲しみ。そのような基盤が崩れることで初めて時間が生まれるのだ。

 

現代は、古代人が前提とした永遠をまるでないものかのように目的として掲げ、人間にたゆまぬ生産を求め、何に対しても入念に計画し、計画実現のために一致団結を要求し続ける。そんな努力を強いられながら、ぼくらは時間のない虚無の世界へ向かっているのではないか。

 

・・・・・

 

時を生む住居 2

古代の日本人はそのような時間の捉え方をしていなかったかもしれない。

 

夜明けのことを「夜のほどろ」と表す歌が万葉集にある。

 

「ほどろ」とは、解く(ほどく)、施す(ほどこす)、迸る(ほとばしる)であり、「ゆるみ、くずれ散るさま」を意味する。動かない固い暗闇が朝陽に融けて崩れ散る動的な様子を表すのが「夜のほどろ」だった。

 

「時」は「解き」、あるいは「融き」だという説がある。 固まって動かない永遠性が解体され、その瞬間に「時」が生まれる。

 

そして、解かれたものはやがて、また結ばれ(=「むすび」)、固まって動かなくなる。

 

時間は、生まれて、消えることを繰り返す。止まっているところに時間は存在しない。

 

・・・・・

 

 

万葉の時間

夜明けのことを「夜のほどろ」と表す歌が万葉集にある。

 

「ほどろ」とは、解く(ほどく)、施す(ほどこす)、迸る(ほとばしる)であり、「ゆるみ、くずれ散るさま」を意味する。動かない固い暗闇が朝陽に融けて崩れ散る動的な様子を表すのが「夜のほどろ」だった。

 

 

「時」は解き、あるいは融きだという説がある。 永遠性は解体され、その瞬間に「時」が生まれる。

 

そして、解かれたものはやがて、また結ばれ(=「むすび」)、固まって動かなくなる。

 

時間は、生まれて、消えることを繰り返す。

 

 

 

 

金木犀の香り

誕生日が近づくと金木犀の香りが漂い始めて、全く忘れていた誕生日の到来を知る、ということをくりかえしていたが、今年はその香りがしない。

 

なぜかと思ったら、マスクをしていたからだ、ということに気づいた。

 

マスクは周辺に漂う香りをほとんど消してしまう。

 

全世界で人間の知覚を変えてしまうとなると、やはりマスクを外せる日は早く来なければならない。

 

写真家 宅間國博

1991年に宅間國博さんの写真集「REBIRTH」に出会った。時間が経って、壁のペンキが剥がれ落ちた跡などをクローズアップした写真集だ。

ぼくにとって、あるいは、ぼくの人生にとって、とても大切な写真集だ。

先月、生まれて初めてのファンレターをメールで送った。もう本を買ってから30年近く経ってから。

そして、今日なんとZOOMで対面してお話しさせていただいた。宅間さんは「当時にタイムスリップした気分です」と仰った。

とても柔らかな方で、たくさんの力をいただいた。

心から感謝、です。

 

宅間 國博さま

はじめまして

ぼくは東京で空間をつくる会社グリッドフレームで代表をやっております田中稔郎と申します

人生でファンレターなど書いた記憶がありませんが、
このメールはそれにあたるのかもしれません

ぼくが宅間さんの写真に出会ったのは、1991年に遡ります

その頃、ぼくはゼネコンの土木部の社員だったのですが、建築を学びたい、という希望を会社にぶつけると
アメリカの大学院で勉強させていただけることになって、
全く建築の知識のないぼくが出国前に日本で手に入る本を探していたときのことです

ブルータスに「REBIRTH」という写真集の小さな紹介記事が出ており、
錆びたドアの金具がアップで撮られていたのを見て、
すぐに本屋へ買いにいったのを憶えています

ぼくにとっては、それは建築の本だったんです

結局、日本からは3冊写真集を送ったのですが、
アメリカで建築を学びながら開いたのは「REBIRTH」だけでした

ぼくが建築を学んだ場所は
ニューヨーク州バッファローという、鉄工場で栄えた後に廃れてしまった寒い町で
町中がスクラップヤードのような印象がありました

ほとんどの学生たちは、そんなバッファローを嫌っていましたが、
ぼくにとっては、最高の学びの場でした

実際に、たくさんの鉄のスクラップヤードがあって、
ぼくは建築模型の材料を探すためにスクラップヤードへ行って
スクラップの山を漁るのが大好きでした

そう「REBIRTH」のあのイメージを探しながら、
ぼくの好奇心は探究心になり、
かたちを持つものに変化していきました

グリッドフレームの「ORIGINAL CONCEPT」というページに、
そのときに書いた論文の一部を載せています
(冒頭に「REBIRTH」が出てきます)

https://gridframe.co.jp/original-concept/

ぼくはずっと「REBIRTH」に出てくるような
時間が手を加えてくれたものたちを素材として
空間をつくっていくことを目指しています

でも、そのような素材を集める方法を確立することができずに
20年以上が過ぎました

しかし、ここに来てようやく足掛かりとなる収集システムを構築して
これから本当にやりたかったことを進めていける気がしているところです

思えば、今こうして希望を抱いて生きていけるのも
宅間さんの「REBIRTH」がぼくの背中を押してくれたおかげだと思っています

深く感謝しております

そんな人間がいることを、知っていただきたくてメールいたしました


少し秋めいてきたこの頃です


お体、ご自愛ください

 

2020年9月13日 田中稔

 

 

田中様へ

うれしいメールありがとうございます!!

幻の写真集「REBIRTH」を知ってる人がいてびっくりしましたよ。

あの写真集は自費出版だったのですが
250冊しか売れなくて、数百万円の赤字を出しました(笑)

田中さんは購入してくださった250人の中の1人です。


グリッドフレームの「ORIGINAL CONCEPT」というページに、
紹介してくださってありがとうございます。


実はですね、2017年に「REBIRTH」を「ペンキのキセキ」というタイトルで
新しい写真も加えて新写真集として出版したのです。

女性に見て欲しいと思ったので、カワイイタイトルにしたのですが
やっぱり売れませんでした(笑)

まぁ、自分へのプレゼントみたいなものです。


この「ペンキのキセキ」を、今回のメールのお礼に
田中さんに1冊送りますので楽しみにしてください。
以前はできなかった色をデジタル加工で再現できたので、色は美しいですよ。

 

田中さんのメールのおかげで
自分のコアな世界観に「いいね」をしてくれる人って
世の中に必ずいるんだなぁ〜ということに感動しています。

本当にうれしいメールありがとうございます。

いつか、お会いできるのを楽しみにしています。


2020年9月14日 宅間國博

 

空間アーティストと住宅リノベーション

父親が亡くなってから、10年が経とうとしている。1956年に大企業に入社して、高度経済成長、オイルショック、バブル、そして、その崩壊の激動期を会社員として駆け抜けた父は、退職後すぐ陶芸を始めた。陶芸にかける情熱の高さは遠くに住んでいるぼくにも伝わってきた。

 

父は器用な人だったが、作品に洗練は感じられない。しかし、父がつくるどの器も温かかった。それは、父にしか出せない温かさだった。もちろん、それを「ここがこうだから」とか説明なんかできない。

 

父はもし違う時代に生まれたら、ぼくのようなものづくりの仕事をしたかったのだと思う。交通事故で亡くなった最後の日は、会社のOB会があって、東京でものづくりを仕事にしているぼくの話を嬉しそうに語っていた、と聞いた。事故はその帰りに起こった。

 

この時代だって、ものづくりの仕事を続けていくのは楽じゃない。もし、父が30年若くなって他人として存在したとしたら、そして、ぼくと出会って「一緒に会社をやろう」ということになったら、一緒に徹夜して、喜んだり悲しんだり、ケンカしたり肩を叩きあったりして、ときどきこれからの夢を語り合っただろうな、と思う。

 

ぼくらが自分たちのことを「空間アーティスト」と呼び続けてきたのは、皆が優秀な職人であるよりは、向こう見ずな旅人でありたいと思うからだ。

 

そして、亡くなった父も向こう見ずな旅人でいたい人だった。

 

今年からぼくらの仕事として、住宅リノベーションを主軸に据えた。父のように、「つくりたい」というエネルギーを秘めた人々の家をぜひつくらせていただきたい。もちろん、「つくりたい」はものづくりに限らない。

 

資本主義が推し進めてきた誰にも均等な快適・簡単・便利住宅を、依頼主にしか出せない空気をぼくらにしかやれないやり方で醸し出す住宅に変えていきたい。そして、そんなつくり方をする小さな空間アーティスト集団が次々に生まれていけばよいと思う。

 

そんなふうに変わっていくならば、この国はどんどん愉しくなっていくんじゃないだろうか?