gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

GF7 「創造性の連鎖」の実績と課題

このようにしてつくられた未完成でエネルギーの高い空間は、お店のスタッフやカスタマーにとって一対一で向き合うことで別々のなにかを発見できるような「自由になれる空間」となり、そのことが例えばスタッフの創造性を刺激し、引き渡し後も柔軟に更新され続けるお店になる可能性が高い、というメリットがある。

 

インターネットの情報では、美容室も飲食店も新規出店から5周年を迎えられるのはわずか20%に過ぎないと言われていたが、当社が2004年以来全部をつくらせていただいた店舗は、2014年当時の統計では、美容室は19店舗中全てが営業中、飲食店は36店舗中32店舗が営業中という結果が確認された。もちろん、クライアントの実力こそが一番の理由である。この数字は、これまで意識の高いクライアントに恵まれたことと、上記のメリットがある程度実証されたことを示すと解釈している。

 

ただし、「創造性の連鎖」で実現される「外部性」とは、空間全体を予定調和の中に収まらないようつくっていく繊細な工夫の中で生じるものであり、空間の引き渡し時に多くのクライアントが驚きを表現してくださったにもかかわらず、クライアントとの関係性・デザイン制作期間などのさまざまな制約条件によっては、必ずしもすべてのプロジェクトで「外部性」と呼べる次元まで空間の質を高められたとは思っていない。成果にはあいまいなところが残る。

 

一方、空間全体の立ち上げ当初に試みた「外部性」とは、「なったもの」が持つ直接的な「外部性」の意味であった。当社は、「自由になれる空間」を確実に実現していくために、空間や建築に「時間」という自然が作用した結果として「なったもの」を内部空間に取り込むことができるシステムを確立する必要性を感じるようになっていた。

 

GF6 試行錯誤は個人にしかできない

たくさんの人が一度に動くときは、一人が頭を動かして指示をして、他大勢はそれに従うことになる。指示の内容も、大勢にとって分かりやすいものである必要があり、また失敗によるやり直しはできるかぎり避けなければならない。だから、予定調和が成立するような平凡な内容になってしまいがちだ。

 

けれど、一人ひとりがリレーで仕事をする場合はどうだろう?それぞれが任された時間の中では、個人で自由に動いてもよいため、自分で責任を取れる範囲で「失敗すること」ができる。その試行錯誤こそが、つくる内容のレベルを向上させることができる唯一の手段ではないか。

 

プロジェクトの始まりから終わりまで、ずっと複数の人間の試行錯誤が連続していくのが「創造性の連鎖」である。

 

 

GF5 躍動的に更新され続ける「創造性の連鎖」

この設立から地盤固めまでの激動の間、グリッドフレームはシステムパーツでスクラップや「なったもの」を挟む仕事はほとんどなく、当社の制作に使う機会も次第に減っていった。だが、当社はデザインや制作の独自の進め方によって、「外部性を内部空間に取り込んで自由になれる空間をつくる」というコンセプトを実現する努力を継続してきた。その方法を「創造性の連鎖」と呼んでいる。

 

ある空間をつくるときは、クライアントインタビュー・基本設計→詳細設計→工場制作・現場制作という工程の流れで進んでいく。それぞれの段階で担当者が変わっていくが、「創造性の連鎖」の特徴は、設計で全てを決めてしまわず、<コンセプトストーリー>と<ビジュアルコンセプト>をバトンとして次の担当者へリレーされていく。そのとき、次の担当者にはある程度の決定や変更の自由度を与えられる、というものだ。

 

つまり、つくる人間全員が自分の頭で考えながら一つの空間がつくられていく。クライアントへ引き渡されるまで、当社において頭の中の空間が躍動的に更新され続ける。誰一人として最後までゴールの姿を知らない。これによって、一人の設計者の意図によって閉じられない、たくさんのつくり手の思いが込められた、エネルギーが高い、多様性のある、そして、よい意味で未完成であり続ける空間ができあがる。

 

 

GF4 グリッドフレームとは「なったもの」と共存するための「つくられたもの」

当社の社名「グリッドフレーム」は、私が考案した、格子状骨組(グリッドフレーム)2枚で、間にスクラップなどの「なったもの」をはさみ込んで壁を成立させるシステムパーツの名称であり、そのままでは往々にして無秩序性が強すぎて、多くの人が怖いと遠ざけてしまう「なったもの」を、システムパーツがフレーミングする効果によってやわらげ、それらの外部性と人が直接向き合えるための「つくられたもの」として開発された。

 

もちろん、「なったもの」以外のものと組み合わせることも可能なので、素人でも工夫次第で多様な空間をネジを回すだけでセルフビルドできる、汎用性のあるシステムパーツとして開発した。

 

会社の設立当時は、システムパーツを東急ハンズなどでDIYのために販売することを試みたが、つくれるモノのサンプルとしてテーブルなどをつくると、パーツよりもサンプルを買いたいという人がほとんどだったので断念。アパレル店などからアパレル什器や衝立・テーブルなどの注文を受けて当社でシステムパーツでデザインしたモノを作成した。

 

その後、少しずつ店全体をつくってほしいという要望が出てくると、DIYを前提としたシステムパーツでは対応できない部分が多くなり、美大卒のアーティストたちをスタッフに迎え、墨田区に工場を借りて、金属加工を中心として木・コンクリート・皮革・ガラスなどさまざまな素材を使って店舗やオフィスなどの空間を制作する会社として地盤を固めていくことになった。

 

 

GF3 「つくられたもの」ではなく、「なったもの」の外部性を取り込む

スクラップヤードも含めて、「とりかえのきかないもの」と向き合える空間や建築は、巷に忘れ去られたように点在する。風雨や太陽に晒されて風化した壁、車輪や人がいつも踏みつけることによって傷ついた床板、・・・それらは、空間や建築に「時間」という自然が作用した結果として在る。だから、それらは「つくられたもの」ではなく、「なったもの」である。

 

これらの「なったもの」から美しさを感じ取るとき、その美しさを「汚しうる美」(さらに汚れても質が変わることのない美しさ)として、それを感受することができる建築をつくりたい、という思いを論文のタイトルとしたのだ。

 

「なったもの」は「棄てられること」や「忘れ去られること」によって、人間の思惑の「外部」に出る。外部にあるはずのものに、内部空間で遭遇するとき、思わず凝視してしまうような③の視点が生まれる。それは、この「とりかえのきくもの」に囲まれた世界で「とりかえのきかないもの」に1対1の関係で出会う「自由になれる」瞬間である。なにものにも束縛されない中でしか、1対1の関係は成立しない。「自由になれる」ためには、この関係を成立させることだ、と思い当たった。

 

「外部性を内部空間に取り込んで自由になれる空間をつくる」・・・これが当社の根源的なコンセプトである。

 

 

GF2 スクラップヤードから始まった

1990年代にニューヨーク州立大学バッファロー校の大学院で建築を学んでいるとき、建築模型をつくる材料を集めるためによくスクラップヤードへ通い、うず高く積み上げられた鉄スクラップの山から気に入ったものを探すのが日常であった。何度も訪れるうちに、スクラップヤードに、空間として他とは明らかに異なるものを感受していることに気づいたため、それが何かを解明する目的で修士論文「汚しうる美の建築」(1996年)を書き、帰国後、この論文を元に1998年に当社グリッドフレームを設立した。

 

この論文の中で、スクラップは「棄てられたもの」であるということが重要であると述べている。スクラップヤードではスクラップは巷にあったときの価値を剥ぎ取られており、①重さで価値が測られる均質な存在に変換されている。依然として、②過去は高級車の一部であった、など巷での価値をたどることはできるが、ここで機械に引きずられたり、踏まれたり、雨に晒された結果、③変形し、錆びついたりして、世界に唯一無二の存在に変化している。

 

すなわち、スクラップの山を眼前にしたとき、①②③の3つの視点が同時に成立する。模型材料として探す自分から見れば、このうち③の視点が卓越する。①②の価値が誰にも共有されるのに対し、③は見る者との間で1対1の関係で向き合うことで初めて価値が感受される。他者の視点は関与しない。言い換えれば、①②は「とりかえのきくもの」、③は「とりかえのきかないもの」として感受される。

 

 

GF1 途上国で知った「自由」

株式会社グリッドフレームはどこから来て、今どこにいて、これからどこへ行こうとしているのか?改めて、まとめる機会があったため、ここに数回、連載しようと思う。

 

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1985年はプラザ合意の年で、ここから円高はどんどん進んでいった。当時、大学生だった当社の代表取締役である私、田中稔郎は、休みに入ると決まって海外へ旅立った。そのころの私は、土木技術者になって、途上国でダムや橋をつくることを夢見ていたから、きっかけは、そのような国で暮らすことができるか、の事前調査のつもりだった。だが、最初に訪れたアフリカで、そのような心配は吹き飛んだ。

 

アフリカの田舎町へ行けば、日本人を見たことがない人がほとんどだった。私は彼らにとって完全にstrangerであり、次にどんな行動をとるか、全く予測できない存在だった。そのような状況下で、私がどのような振る舞いをしたとしても、単にそれが私だ。「自由」とはこれだ、と思った。

 

日本ではどちらかといえば引っ込み思案だった私は、生まれ変わったかのように積極的な人間になっていた。私は、自分の中に、そのような自分がいることをそれまで知らなかった。

 

日本へ帰れば、また元の引っ込み思案の自分に戻っていた。このときから「自由になれる」とはどういうことか、について考え始めた。

 

得票

都知事選では、インターネットで選挙活動をしていた人たちの結果はよくなかった。

 

コロナ自粛は、テレビの視聴率のみを上げたのだろうか?

 

内省的になった人たちは、インターネットで自分の意見を明確に示した人に票を投じる可能性が上がる、と考えていたが、どうやらそうでもないらしい。

 

大きかったのは、全員へ配られる給付金がほぼ間に合ったことだろう。

 

また、企業や自営業者にも間に合ったことだろう。

 

実際に届いたことに対して、現職は信頼を得ることになった。

 

だが、これからはもう出ない。第2波以降は、どうなってしまうのか?

 

日本のコロナはまだこれから、という可能性も大きい中、現職で本当によかったのか?

 

政治に期待できないなら、ぼくらはそれぞれで気を引き締めてかかるしかない。

 

 

都知事選

小池知事の再選が大差で決まった。

 

去年の参議院選まで、ほとんど政治に無関心だった自分を顧みると、この結果は不思議ではない。何もしない体制側が買ってしまう。

 

自分が無関心ではなくなったように、どのくらいの人が関心を持つように変わったのか、を知るためには、最終的な票数を確認する必要がある。

 

ネットで運動を展開した人たちが、どのくらいの票を獲得したか?

 

その合計が小池百合子の票に拮抗するとすれば、今後は電通の影響下に置かれない選挙に移行していく、つまり、既得権益を持たないところから、選挙に勝つ人が出始める、ということだ。

 

自分で考えて行動する人が、権力を得ること。そんな当たり前のことが、ようやく可能になる。

 

ただ、選挙の制度改革も必要だ。例えば、東京都知事選であれば、1400万人の首長の座を争う選挙なのだから、オランダの首相に匹敵するくらいの戦いなのだ。それを、たったの2週間の戦いで決めようというのは無理があるだろう。

 

半年間くらいかける価値は十分あるはずだ。

 

議論する時間が短ければ、今回のようにテレビ討論の機会すらつくれないでも、しようがない、で終わってしまう。それも、体制側の思いのままだ。

 

今後、それもきっと変わっていく。気づいてしまった人が今回の選挙でも増えたはずだからだ。

 

 

 

 

きっかけ

安部首相や麻生大臣たちには、そして、小池都知事たちには、どうしても実感できないであろう弱者との間にある壁を、どのように互いが越えていくか、という仕組みを考えていくこと。

 

弱者は、壁の向こうにいるその人たちが助けてくれるだろう、とどこかで信じて投票してしまうのだろう。電通などにうまく騙されて。

 

壁のこっち側にいる候補者は、どうせ自分たちと同じ弱者なんだから、どうせダメだ、と感じてしまうんだろう。

 

だから、何を言っても耳を貸さない市民が大半を占める。

 

壁を越えていくきっかけづくり。ぼくは、ぼくらの仕事である「空間」は一つの大事な要素だと思っている。

 

 

消えてゆく何かを寄付して未来をつくる

sotochiku.comへ導入する広告として、スタッフが動画をつくってくれた。

 

ある人の半生を、今は廃墟となった家から振り返る内容だ。

 

人それぞれの過ごしてきた時間には、とりかえのきかない価値があることを、ぼくらは知っているが、それを実感する機会は少ないかもしれない。

 

ぼくらの人生は、なぜか分断されていて、強者は強者と同じ空間で時を過ごし、弱者は弱者と同じ空間で時を過ごして生きている。

 

だから、互いが出会うことは、とても少ない。

 

境界を越えて互いが出会ったときに、強者が弱者の力になれる、あるべき姿の社会が生まれる。

 

強者であろうと、弱者であろうと、どんな人生も、今という時間は消えていく。

 

ぼくらは誰でも、生きた証を必要としないだろうか。

 

そして、その誰かの生きた証に対しては、だれもが敬意を払うことができるのではないだろうか。

 

誰かの生きた証を、ぼくたちは次の世代の誰かの空間づくりに生かしていく。

 

この動画には、そんな思いが込められている。

 

 

 

 

弱い者は弱い者を助ける

金を持っている人は、貧しい人のことを考えない。

 

勉強ができる人は、勉強ができない人のことを考えない。

 

うまくいっている人は、苦しんでいる人のことを考えない。

 

想像力の問題とはよく言われるが、たぶんそうではない。

 

きっと日常の中で、自分との関わりがないものについて、考える機会を持てないからだ。

 

弱い者を助けるのは、弱い者だという現実がある。

 

社会としては、強い者が弱い者を助ける社会をめざすべきだろう。

 

実際に会ってみたら、きっと変わる。

 

宇都宮健児さんも、「そういう人に出会ってしまったから」と言っていた。

 

黒柳徹子さんもユニセフ親善大使として、同じセリフを言っていた。

 

出会うこと。それがすべてを変える。