2012年。黒沢 清監督。
小5の娘を変質者に殺された母親が、その直前まで一緒にいた4人の同級生に対し「犯人の顔を思い出せない償いをするまで、許さない」と恫喝したことが、4人のトラウマになったことが元で、15年後、さまざまな不幸が彼女ら一人一人にふりかかる。
単なる逆恨みに過ぎないが、15年経っても母と4人の関係性は変わっていない。・・・ありえないようだが、トラウマとはこんなものか?
2012年。黒沢 清監督。
小5の娘を変質者に殺された母親が、その直前まで一緒にいた4人の同級生に対し「犯人の顔を思い出せない償いをするまで、許さない」と恫喝したことが、4人のトラウマになったことが元で、15年後、さまざまな不幸が彼女ら一人一人にふりかかる。
単なる逆恨みに過ぎないが、15年経っても母と4人の関係性は変わっていない。・・・ありえないようだが、トラウマとはこんなものか?
ぼくらにとって、無理なく成立させられる「自然な壁」って、どんな壁だろう?
壁紙を剥がしたボード壁を、相当な面積で自然な壁に変える。
目立たなくてよい。ただ、自然な壁。多様な表情を持つ壁。
・・・
sotochiku.comが、いよいよ完成。
これから、広告をかけて世に問う段階に入る。
コロナのおかげで、じっくりと詰めることができたのが本音だ。
あとは進めながら、ぶつかる問題に対処しつつ、存分に愉しむつもりだ。
(ちなみに、ぼくは死ぬまで引退するつもりはないw)
歴史を学ぶことは、今の自分の生き方を学ぶことだと身に染みて感じている。
世界によって刷り込まれた観念を「間違っているかもしれない」という疑問を自分へ突き付けることになる。
いつだって、遅くはない。
なぜ日本の近代史・現代史を学校では教えようとしなかったのか?
それは、従順な人間を育てるには不都合だからなのか?
子供の頃に、「どうすれば、あの戦争を回避することができたのか?」と考えさせることは、どんな教育よりも重要ではなかったか?
そのような教育を親として始めたいと思う。
自分は間違っていないと思うこと、が前提として。
クレームが来ても謝らないでいいポジションに立ちたい。
自分が間違っていると思わないのに謝ってはいけない。
これからの日本では、これは大事なことだ。
もちろん、心をほとんど無にして、やり過ごすために、さらりと謝ることはある。
処世術として、これも大事だが、下手にやると上下関係をつくってしまう。
闘わなければならないときに、闘えるように。
心に描く作業を、現実につくる作業と同時に行っていく。
心が少し先行したり、現実が少し先行したり、抜きつ抜かれつ進んでいく。
K邸の作業は、ぼくにとってそんな作業だ。
まず、スタートすることが大事だ。
これは自分の力を使わないと何ともならない。
スタートしないと、少しでも前に進むのに必要なものたちが見えてこない。
それらが見えてきたら、もう次々に揃えていくだけだ。
これはもう自分の力だけでなく、ある程度他人の力を借りて半自動的に進み始める。
動きは決して滑らかではないし、下手をすると止まってしまう。
動きが少し滑らかになるところまで、力が要る。
今はまだ、そこにいる。
コロナの影響で、今年はホタルをイベントとしてやっていなかった。
イベントと言っても、うちわを配ってくれるだけなんだけれど、それでも灯りがなくて、静かだった。人も少なくて、その分、ホタルはたくさん飛んでいて、いつもより明るく感じた。
来年からも、こんな静かな感じの方がうれしい。(駐車料金は取っていいと思うけど。)
陽向もすっかりこの雰囲気を愉しめるようになって、静かに歩けるようになった。日本の夏の美しさを理解するようになってきたのだろう。
アメリカでは、わざわざホタルを見に行く習慣はないようだ。ぼくは、たまたま夕暮れに森の水辺にカエルを見に行ったら、見たこともないほどの数のホタルが光りはじめて、しばし呆然と立ち尽くしたことがあった。
たくさんの蚊にさされなければ、ぼくは何時間でもそこにいただろう。
でも、そのことを友人に話しても、「よし、見に行こう」とはならない。なぜだろう。他にはいろんな感覚を共有できていたのに。
なんせ、ホタルの英語は「lighting bug」で趣きなどあったものではないし。
2019年。ホアキン・フェニックス。
ゴッサムシティで市民の暴動が起きる。貧富の差の拡大が止まらないからだ。
それは、実際のほとんどの都市に当てはまる。
実社会では、これにコロナ禍が加わっているのだから、アメリカで暴動が起きているように、世界中どこで暴動が起こってもおかしくない状況だ。
映画では市長選。東京都は都知事選。
ジョーカーのような不幸は、もうそこら中に存在している。
さて、市長候補のトーマス・ウェインに似ている候補者は誰だ?
まさにタイトルに書いたようなことを、毎日考えている。
長年かけて、できなかったこと。これを実現させたい。
第一次世界大戦の戦勝国である日本がその後、急速に崩壊していくのだが、鉄鉱石などの資源のない日本に総力戦は無理だったにもかかわらず、日本が軍事大国を目指したために、勝ち目のない第二次世界大戦に突入していった、という。
総力戦への道を選ばず、中国、朝鮮の領土を返還していれば、日本の国際的な地位はその後も高いままで、アジア諸国の恨みを買うこともなかった。
日本は第二次世界大戦で230万人を失っている。当時の人口は7215万人である。
失われた命がもしも失われなかったならば、戦争による痛みや苦しみや悲しみがなかったら、ぼくらはどんな愉しいことを実現できていただろうか?
アメリカはすでに1920年代から高度経済成長期に入っていたが、日本は1960年代に入った。40年遅れた。あの戦争がなかったら、アメリカと時を同じくして、経済大国として世界を牽引していたかもしれない。
今頃は、もっと幸せだっただろうか?教育はもっと自由だったろうか?ぼくの祖父、父の人生は全く違う「良い」ものになっただろうか?
ぼくらは、もっと愛に満ちた世界を生きているだろうか?
もし、それこそがよりよい世界だったとすれば、新自由主義を捨てる必要があるだろう。
大阪市西成区釜ヶ崎のゲストハウスとカフェと庭のあるNPO法人。日本の高度成長を支えた日雇い労働者のおじさんのまちは、今では高齢化が進み仕事もなくホームレスになる人も多い。この釜ヶ崎で地域に根ざした活動「釜ヶ崎芸術大学」「まちかど保健室」「夜回り活動」などを続けている。今日も、おじさんたちが入れ替わりたちかわりやってきて、旅人や居場所をなくした若者もやってきて、一緒になにかを学んだり、つくったりしている。
ココルーム代表の詩人・上田假奈代さんは、ココルームでのアート活動を次のように表現する。
・・・・・
無名の存在、無名の人たちが無名の仲間とつくりあげた無名の何か。名前もなく流れつづけてとりとめもないから生き生きとしている。窪みに澱が溜まるので少し押し出そうとするが、澱が栄養になることもわかってきたので少し残す。岸辺の際の、陸の領分か水の領分かわからないような際のあたりのあいまいなところに名も知らぬ草が茂り、葉を落とし、生き物たちが跳ねたり這ったりしている。
・・・・・
2019年には、ココルームの庭に井戸を掘った。高齢化するおじさんたちは何もしなければやがて存在を忘れ去られてゆく。おじさんたちには土木仕事に関わった人が多く、井戸掘りの先生として生き生きと地面を掘ったそうだ。その記録がまとめられ、次の世代へと伝えられていく。
ブリコラージュ(その場で手に入るものを寄せ集め、それらを部品として何がつくれるか試行錯誤しながら、最終的に新しいものをつくること)によってつくられたゲストハウスやカフェの空間を見るにつけ、サードプレイスをつくるには、それが最適な手法のひとつだと納得する。多様なエネルギーが一所に集まって、さまざまな人が自由な気持ちで過ごせる空間が実現している。資本主義社会に翻弄されてきたこの町の人たちの生を、この場所が輝かせているように思うと感動を禁じ得ない。SOTOCHIKUもブリコラージュの手法と重なる部分があり、ココルームの存在に励まされる思いだ。