皇居を何百回も走ってきたけれど、ロラン・バルトの「表徴の帝国」(1970)で書かれた、何もない中心であることは、そこでポジティブに書かれているように、やはり心地よく感じる。
やはり心を惹かれるイスラム教国によく見られるコートヤードも、中心は何もないから心地よいのだろう。
だが、周囲に実体が先に存在するコートヤードは、実体がなくなれば中心も存在しないのに対して、東京は空襲によって周りに何もなくなっても、中心はゼロのまま、そのまま存在し続ける。
中心のゼロが先にあって、放射状にモノがつくられていく。それが東京だ。だから、つくられるものたちは、取り換えがきくものばかりだ。軽い。
日本の将来も、そんな感覚で定められていく。きっと、80年近く前にアメリカの属国同然にならなかったとしても、ポチのように誰かについていこうとする如くふるまうのは同じだろう。
だが、「ところがどっこい」というどっしりとした動かせないものが無数にあることが、この国の本当の強さだ。
不動のゼロほど、強力な存在はない。