友川かずきの「無残の美」の歌詞を初めて読んだのは、京都「白樺」の客、片山さんがつくった同人誌に彼自身が書いた文章の中で紹介されたときだ。
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無残の美
詩を書いたくらいでは間に合わない淋しさが時として人間にはある
そこを抜けようと思えば思うほど
より深きものに抱きすくめられるのもまた然りだ
あらゆる色合いのものの哀れが
夫々の運を持ちて立ち現れては
命脈を焦がして尽きる物である時
如何なる肉親とても幾多ある他人の一人だ
その死は実に無残ではあったが 私はそれを綺麗だと思った
ああ覚 今 木蓮の花が空に突き刺さり 哀しい肉の様に咲いてるど
阪和線富木駅南一番踏切
枕木に血のりに染まった頭髪が揺れる
迎えに来た者だけが壊れた生の前にうずくまる
父、母、兄、弟であることを泣く
最後まで自分を手放さなかったものの
孤独にわりびかれた肉体の表白よ
水の生まれいずる青い山中で
待つのみでいい どこへも行くな
こちら側へももう来るな
その死は実に無残ではあったが 私はそれを綺麗だと思った
ああ覚 そうか 死を賭けてまでもやる人生だったのだ
よくぞ走った 走ったぞ 無残の美
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この凄まじい詩に、しばし呆然とした。
無残の美、という言葉を弟の自死に対して使うことのできる友川かずきは、いったいどのような人生を生きてきたのだろう?
「汚しうる美」の空間をつくる材料として、鉄スクラップを集めて回った頃、例えば、鉄スクラップとなって産廃業者に集まる自動車のスクラップには、事故車が多いことを知った。もちろん、人が亡くなった車体のかけらも多いだろう。
そのようなものを、洗い清めることもなく、新しい空間をつくるために使うなどありえない、と自分の常識が即座にスクラップの使用を禁じた。そんな空間を人が欲しがるわけがない、と。
無残の美は、「血のりに染まった頭髪が揺れる」車体のスクラップで空間を囲った中に佇むような詩だ。
つまり、私がいとも簡単に放り投げた種類のリアリティのみでできているような詩だ。
それは、今私たちがつくる空間が「本物であるか」と私に詰め寄ってくる。