ぼくらつくり手は、「自分たちの自由につくってよい」といわれるとハタと困る。「はい、好きにしゃべってみて」と言われたら困るのと同じだ。だから、初めて自分たちのショールームをつくる、ということになったとき、いつも以上に何をつくるべきかを悩んだ。
対話のようにつくっていく。・・・それがぼくたちがこれまでやってきたことだ。
まずはクライアントの考えをできるだけ全部、長い時間をかけて聞く。同じ方向を向くことができたと思えるまで、聞き続ける。
それをコンセプトストーリーと呼んでいる詩のような文章に落とし込む。そして、詩にカタチを与える。それが空間になる。
言葉とカタチは一対一対応をしない。つくり手10人で挑む空間づくりなら、10人それぞれが同じ言葉から違うカタチを生み出す。
統率をとることはしない。統率のとれた美しさというものがあることをぼくらは知っているし、それは難しいことでもないが、ぼくらが求める美しさではない。
統率のとれた美しさは世界を閉ざす。それ以上、発展も衰退もない、動かない世界。
そんなところに閉じ込められたくないんだ。
今回は、クライアントから話を伺うことができない、ぼくらのショールーム。対話のきっかけとなる外部からの言葉を欠いている。
それでも、詩となる言葉を絞り出さねばならない。
こうして、書いたコンセプトストーリーが次の文章だ。
だが、これが書かれたことによって、積極的にカタチが生まれることはない。
そこには、「システムに従う世界の外に、もう一つ別の世界をつくる」という意志があるだけだ。
周囲の方々のご協力によって、SOTOCHIKU素材が手に入るたびに、素材と対話するようにカタチが生まれた。
こうして、カタチをつくり続けた結果、なんとか12月初旬にカフェ営業が始められるまでになった。今後もずっとつくり続けるけれど・・・。
そんな無方向性の中で漂いながら、カタチをつくり続けた結果、空間はなんと、ぼくがグリッドフレームを興すきっかけとなったアメリカ・バッファローでの学生時代に建築模型の材料集めに通ったスクラップヤードに似てきたことに気づいた。
ぼくはスクラップヤードに魅せられて、グリッドフレームを思いついたのだ。四半世紀以上の長い時間を経て、ここへ戻ってきた、と思った。
ぼくが強烈な直感を得た瞬間瞬間は、今まで点の集まりでしかないように見えていたけれど、今、線としてつながった。
そして、「この人生で自分が何をしているか」を確信を持って語れるようになったんだ。