gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

無残の美

「無残の美」は、京都吉田山の今はないバー「白樺」の客の一人、片山さんが同人誌で紹介してくれた友川カズキの詞だ。

 

ぼくは、この詞を反芻しながら生きてきただろう。片山さんに感謝である。

 

ぼくには何ができるだろう?と自問するとき、「死を賭けてまでもやる人生」を生きたい、と願うことが最初に浮かぶことだ。

 

外から見てそれが無残であったとしても、さらにその外からの視点では美しい。

 

今日も早朝、この詞を飲み込んで目を覚ます。

 

 詩を書いた位では間に合わない
 淋しさが時として人間にはある
 そこを抜け出ようと思えば思う程
 より深きモノに抱きすくめられるのもまたしかりだ

 あらゆる色合いのものの哀れが
 夫々の運を持ちて立ち現れては
 命脈を焦がして尽きるものである時
 いかなる肉親とても幾多の他人のひとりだ

 

 その死は実に無残ではあったが
 私はそれをきれいだと思った
 ああ覚 今もくれんの花が空に突き刺さり
 哀しい肉のように 咲いているど

 阪和線富木駅南一番踏切り
 枕木に血のりにそまった頭髪が揺れる
 迎えに来た者だけが壊れた生の前にうずくまる
 父、母、弟、兄であることなく

 

 最後まで自分を手放さなかったものの
 孤独にわりびかれた肉体の表白よ
 水の生まれ出ずる青い山中で
 待つのみでいい
 どこへも行くな
 こちら側へももう来るな

 その死は実に無残ではあったが
 私はそれをきれいだと思った
 ああ覚 そうか死を賭けてまでもやる人生だったのだ
 よくぞ走った
 走ったぞ
 無残の美