gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

映画 愛を読む人

「読み聞かせてもらうこと」と「読むこと」はどのように違うだろうか。

読み聞かせてもらった思い出は、母が唄う子守唄の記憶に重なっていく。まだ、読むことを知らない幼児が母に絵本を読んでもらうことが「読み聞かせ」の原風景であろう。

その声は、私を包み込むようにやさしく沁みこんできた。そんな遠い記憶。

読むことは一人によって成り立ち、読み聞かせは二人以上で成り立つ。

そして、読むことは自分の意志によってページを一枚一枚めくる芸術であるが、読み聞かせは耳に否応なく入ってくる強制力を持った芸術であり、その点で、音楽に酷似している。文章には、リズムがあり、そしてメロディがある。

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文盲である女性が、思春期の少年にベッドで本を読み聞かせてもらう。

ヨーロッパにおいて、文盲であることを知られることがどのくらい恥ずかしいことなのか、そして、そのことによる差別がどのくらい生活に打撃を与えるのか、を理解できなければ、この映画に違和感を抱いてしまう。

教育を受けていない彼女は、文盲であることを徹底して隠すことと、厳格に規則に従うことで、かろうじて社会の中にサバイバルしてきたのだろう。

看守として厳格に規則に従ったために、300人のユダヤ人を死なせてしまった彼女を獄中で支えたのは、かつての少年が送ってくれる朗読を録音したテープである。彼女は読み書きを覚えようと決意する。

彼女の生きる証しは、読み聞かせによって彼とつながれることであった。彼女はかつて、職場での昇格を機に忽然と姿を消したように、釈放を機にこの世から姿を消す。

変化の向こうに希望を見い出すことのできない、小さな生命が静かに消える。