gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

深さ

いわゆる近代以前の文学を読むとき、われわれはそこに「深さ」が欠けているように感じる。しかし、たとえば、江戸時代の人々が深さを感じていなかったわけではないだろう。(中略)にもかかわらず、彼らの文学に「深さ」がないとは、どういうことなのか?われわれはそれを彼らの「現実」や「内面」に帰すべきではないし、またそこに「深さ」をむりに読むべきでもない。逆に、「深さ」とは何であり、何によってもたらされたかと問うべきである。(柄谷行人日本近代文学の起源」構成力についてp.173)

「深さ」を感じることによって、読む人は「自分のことが書かれている」と感じ、作品の中に入り込んでいけるという。

この「深さ」が欠けているように感じられる対象は、近代以前の文学だけではない。柄谷行人はこの文章の後で、絵画の世界では、透視図法以前の絵画には奥行き=深さが感じられないが、透視図法で描かれるようになってから、「絵の中に入っていけるように」感じられるようになった、と書いている。

つまり、「深さ」を感受することは、共感や分かりやすさを生み出すが、透視図法が数学的手法に過ぎないように、「深さ」を有するものが直接、芸術的だとはいえない。

このように「深さ」を表現するとはテクニックの問題であるから、ビジネスに活用されやすい。いわば、大量生産が可能なものである。そこからは人間のかけがえのなさが出てこない。


あるひとつの主題へ向かって構築していく、という作業には、構築方法が必要とされ、この方法をいかにうまく活用したとしても、それは芸術家の仕事ではなく、職人の仕事だ。

また、公式でいえば変数xにあたる主題や素材を決定することも、芸術家の仕事とは言い難い。

ならば、この「深さ」をむしろ抑制していくところに、芸術家の「知性」は生かされなければならないだろう。なおかつ、「構築」に全霊を傾ける人生を送れる道を求めつつ。

なによりも、世の中が求めているものが1対1のかけがえのない関係だ、と信じて。


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