2012年2月6日、スペイン・バルセロナの芸術家アントニ・タピエスは亡くなった。日本では2月11日に亡くなったホイットニー・ヒューストンがトップで報道される中、同じ日にひっそりと片隅に記事が掲載された。
それは、ジョン・レノンが亡くなったとき、片隅に押しやられたレッド・ツェッぺリンのドラマー、ジョン・ボーナムの訃報記事を連想させた。
片隅に押しやられたことによって、逆に、私にとってアントニ・タピエスの存在はより大きくなった。ジョン・ボーナムという名前をおそらく生涯忘れないのも、私にとってみれば、片隅に押しやられたからだ。
バルセロナで過ごした1995年の夏。旧市街の壁には、長い年月を経て崩れかけた石壁が随所で見られた。そこにはスペイン内乱の痕跡もあっただろう。
旧市街から10分ほど歩いたところに、タピエス美術館はある。
旧市街の壁がそのままこの美術館の壁に飾られている。タピエスの作品群を観て、私はそう思った。
↑私が撮った旧市街の壁の写真 私にとって、タピエスの作品と同等の力を持つ
タピエスは、彼の「壁」を主題とする作品群を制作した動機について、次のように語っている。
「どのようにして、この壁をイメージする力が私の意識のなかで具体化していったかということを考えるには、私の人生をかなり遡らなければならない。それは、私の幼少期および思春期を囲っていた、戦争という壁に由来するのである。
大人たちのすべての苦しみ、そして巨大な悲劇のなかで好き放題に動き回っていたある年齢特有の残酷なファンタジーが、私の周囲に書きつけられ、刻まれたのである。何世代にもわたって私の家族が見慣れてきたある都市の壁が、多くの殉教や、貧しい人々に対する非人間的な仕打ちの証人となったのである。」(『実践としての芸術』)
彼を突き動かしたものが何であったかが、ここに垣間見られる。
「(芸術とは)我々の精神のなかに現実を呼び起こす何かである。」(同上)
彼はそう信じて、制作を続けてきただろう。しかし、現在でも芸術は生活から遠くに在り続けている。彼の訃報記事のように、ひっそりと片隅に在り続けている。