日本において、盆(トレイ)は本来は霊に対する供え物を置く容器を意味しており、大切な物を大切な人へ贈るときに用いられてきた。
日本ほど直接の手渡しを避ける国民はいないと言われている。
盆に載せる行為は、遠くから来たものに対する敬意を表す儀礼としての役割を果たす。
その姿は、箱庭のように美しい配置を施され、厳かに運ばれて、鑑賞される。
森林から遠く離れた店舗空間から、
森林の外なる生命と通じ合うための日本的手法
森林の生活から遠ざかった私たちが、
遠い森の記憶を呼び起こし、
失ってしまった大切な力を取り戻す
きっと、その大切な力は、
日本だけに必要とされているものではなく、
私たち日本人が、世界に向けて発信したいものではないか
とらのねじろっていうから
どんな恐ろしいとこかと思ったら
なんだかほんわかとしたところだねぇ
いやいや油断するんじゃねえぞ
どっかにいるらしいから
いきなりガオーッなんて襲ってくるかもしれないぞ
おっ、ほらほらフーッて声がしたぞ
ど、どっちにいるんだい!
あっ、あそこだ!
まるまって、いびきかいてやがる
えっ、まるまって?
おめえさんたち、はじめてかい?
なにびびってんだい、
ありゃ、「とら」ってなまえのねこだよ
なにいうんだい、
こちとら江戸っ子でい!
おあとがよろしいようで・・・
核を持たないプロジェクトは、人の心からスッと離れてしまう。
何をやっているのか、わからなくなって、宙をさまよう。
街を歩けば、世の中にあふれる空間には、どこに核があるのか。
それを感じ取る感性がなければ、空間のデザインはできない。
核のない空間を増やしてはならない。
我が家の水槽には、現在、ゴールデンハニー、ネオンテトラ、グッピー、プラティが生活しているが、数か月前はゴールデンハニーのオスが独裁者となって、他を攻撃し続け、ゴールデンハニー2匹、ネオンテトラ1匹まで数を減らした。
その後、ネオンテトラ、グッピー、プラティを5匹づつくらい水槽に入れたら、この4か月で卵を体内で孵化させるグッピーとプラティが次々と子供を増やし、現在は60匹を超えている。現在の見え隠れする稚魚も足せば、100匹に近いかもしれない。
最初にグッピーの稚魚を見つけた頃は、家族全員で微笑ましく成長を眺めたものだが、40センチの小さな水槽に60匹以上が蠢くのを見ると、逆に今後の過密状態が心配になってくる。
地球の人口爆発を憂うのと、同じ構図だ。
問題なのは、生命の誕生を微笑ましく迎えられない心だ。
ネットで調べると、稚魚が隠れる場所を失くしていくと、捕食されて数の均衡が保たれる、とのこと。
クラクラしてしまうような内容だが、それ以外にどうすることもできないのが現実だ。
このような視点から、戦争を正当化する人もいるくらいだ。
生まれてきた者たちへのやさしい視線を保つことができる社会づくりを考えながら、視線はぼく自身の存在へ向く。
グリッドフレームは、二人で基本設計をやってきたが、現在の役割はトランプでいえば、私がジョーカーで、もう一人がオールマイティだ。
オールマイティは、プロジェクトすべての部分をコントロールする。
ジョーカーは、それを破綻させる。
破綻を持ち込むことは、外部性を持ち込むことだ。
トランプのゲームにも、ジョーカーは外部性として機能するように。
両方が機能すれば、必ず魅力的な空間ができあがる。