空間に、個性を欲する人と、個性を欲さない人がいる。いや、同じ人でも、個性を欲するときと欲さないときがある。
個性とは、主張と言い換えてもいい。
ぼく自身、他人の主張を常に感じているのは心地よいものではないが、全く主張のない空間に身を置き続けるのも寂しさを感じる。
結論としては、空間で時間を過ごす側が主体的に個性を感受する、しないを選択できるのがよい、ということになるだろう。
とはいえ、主体ー受動の度合いには個人差があるから、同じように機能する空間なんてありえない。
人がものをつくるときに、結果として表れてしまう個性は、感受される人によって、常に両義的に作用する。
いっそのこと、めんどくさいから個性を取り払ってしまえ、とモダンな空間をつくってから、ぼくらは一気に他人とのつながりを失い始めたのかもしれない。