それは、洗練という言葉と関係するのかもしれない。
あるいは、もっと根源的なものなのか。
ぼくは、いわゆる意図を感じる造作を直接的に眺めるのがきらいだ。意図とは、コンテクストを有する有機的なもので、ぼくの中へ入ってくると厄介に絡みついて出てこない。
それがガラスの向こうにあったり、グリッドフレームの向こうにあったり、何らかのレイヤーを通して見ることで、自分の中へ容易に入り込んでこない状況をつくりたいと願う。
そのガラスにしろ、グリッドフレームにしろ、それらは無機質でモダンなものだ。
世の中に、有機的なものと無機的なものがあるならば、ぼくはそれらを組み合わせることで空間を成立させたい。
逆に、そうでなければ、生きづらい。