gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

洗練

今、中国で、日本人であるという理由だけで突然殴られるという事件が頻発している。

この事件を聞いて、私が思い出したのは、熊本の海辺の町で自分に起こったことだ。

もう30年くらい前のことだが、私はアフリカで買った派手な布地のTシャツを着て、海辺を歩いていた。そのときすれ違った日に焼けた若者は、すれ違いざま私を鋭く睨みつけた。殺気を感じた。派手な服を着たよそ者の私をよほど気に食わなかったと見える。

もし、相手が複数だったら、私に殴りかかってきただろう。私は子供の頃、荒くれの中で育ったため、そのような空気は敏感に察知することができた。

日本でも、ほんの少し前まで、よそ者という理由だけで、突然、村の若者たちにボコボコにされる、なんてことは日常茶飯事だったはずだ。

最近では、そのようなことは確実に減っただろう。情報社会になったからだ。日本人は、その頃に比べれば洗練された、と言ってよいだろう。

洗練は、よいことばかりではない。粗削りのものが持つ魅力は消え失せ、喜怒哀楽が抑制され、振れ幅が小さくなった。人間のエネルギーが減少したようにも感じられる。

日本人を日本人であるという理由だけで殴った人に足りないものは、洗練だろう。ほんの数十年前までは多くの日本人も持ち合わせていなかったものだ。

そのことは情報社会が解決してくれる。中国内でも、尖閣諸島は日本の領土だ、と主張する人もいるのだから。

私は、必ずしもだれもが洗練されてほしいとは思っていない。だが、いつか洗練がこのバカバカしい国境というものすら消去してくれるのであれば話は別だ。

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