私は、理路整然と物事を進めていくのが不得意だが、結果から遡ってストーリーをでっち上げることが得意なのだろうか、と思うことがある。
あるいは、言葉にならないいくつかの理由によって、物事を進めているのかもしれない、と思うこともある。
いずれにせよ、全体のビジョンに従って一歩一歩生きてきたわけではないし、これからもそのようには生きていけないだろう。
第二次大戦の終盤に日本の特攻隊が成功率の著しく低い特攻をただ繰り返したように、全く実を結ぶはずのないプロジェクトを盲目的に継続しているかのように周囲からは見えたこともあっただろう。
だが、私には、特攻隊と私の行動との差異を説明できない。私は極めて日本人的な日本人なのだ、と自覚するだけだ。
「継続は力なり」とか、「石の上にも三年」とか、考えようによっては生ぬるいことわざがある。「内容なんかどうでもよいから、とにかく続けてみれば?」と価値を一旦量的なところに置き換えて、「そしたら、なにか結果が出るかもしれない」と質的なところへ還元される可能性を認めてくれる、という社会常識が存在することを示すものだ。
継続によって、為すことの意味は変換され、変換によりものごとを認識することができるのだから、これらのことわざは的を得ていると思う。
私は、この生ぬるさが日本社会の際立った特徴ではないか、と思う。これはネガティブな過去に関連付けられると同時に、ポジティブな未来への可能性にも関連付けられるのではないだろうか。