あるプロジェクトのために、ケルト文化について調べている。
人間も自然の一部であり一動物に過ぎない、という水平的なケルトの世界観。ギリシャ・ローマのように人間を精巧に描くことへの情熱は見られず、人間よりは動物を描いた。
私は、森の中で老いて倒れた巨木をイメージする。誰も知らぬところで、誰にも倒れる音を聞かれないが、人間以外のたくさんの生物たちがその目撃者だ。バクテリアは巨木を分解し、新たな生物を生み出す肥沃な土に還っていく。
そのように、目に見えない、耳に聞こえない世界に対する畏敬の念。
世界をフラットに捉えるといわれる今日のネット社会には通ずるものがあるかもしれない。だが、ケルト文化にはフラットなままでいようとする意志すら感じられるのに対して、現代はどうだろう?
私たちに、フラットなままでいようとする意志はあるだろうか?