35億年前に初めて地球に生命が誕生した。そして、110歳まで生きれば35億秒を生きることになる生物。
いや、単純に、「35億」という数を実感したいから、ぼくは秒という時間に置き換えているだけだ。
ガイアシンフォニー第3番の冒頭に出てくるナレーションはずっとぼくの中で響き続けている。
生命は、35億年前にこの地球に誕生したとき、すでに「永遠に生き続けてゆこう」とする意志を持っていた。その意志の現われとして、(性が誕生し、)より多様化し、複雑化してゆくという生命システムを生み出し、そのシステムの必然として個体の「死」を生み出した。(龍村仁 「魂の旅」 p.43-44)
より多様化し、複雑化してゆくのは、突然の環境の変化にも対応できる個体をつくることで、絶滅を免れるためだという。物理的にはそうだろう。誰に対しても有無を言わせぬ説得力がある。
だが、多様化し、複雑化することを、人間が愉しく生きるために誰もが本当に望んでいるか、というと、そうとも言い切れないだろう。
それは、サバイバルをリブに変えて、ぼくたちがこの世界に実存するキーとなる。宇宙に意志があるならば、それに寄り添い、同じ方向を見る心がきっと重低音のようにぼくらの中で鳴り響いているはずだ。
耳を澄ましてみる。
遠い過去にさかのぼり、遠い未来を見つめる。現在を生きる中で、そのような視点を持つ瞬間は少ない。そのため、何億年という単位で、多様化し、複雑化することの意味を実感することが少ない。
人間が動くためには、実感を必要とする。
1年は1秒の3153.6万倍だ。35億年と35億秒の違いは、視点次第ではほんのちょっとかもしれない。
多様化し、複雑化することを心地よいものとしてイメージできる空間をつくり、その愉しさを実感し、遠いまなざしを獲得する。
遠くのものを近くに見る。
空間は実感しがたいものを実感するためにつくられるのではないか。