gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

ラファエロの天使

家具の販売サイトを検索していたら、ルネッサンスの画家ラファエロの天使のプリントが額装されて販売されているのを見つけた。

『システィナの聖母』という宗教画の一部であるが、他の部分は神々しく描かれているにもかかわらず、この2人の天使だけはまるで笑いをとるかのように描かれ、異質である。

現代のインテリアの一部として飾られてもおかしくない、「かわい〜い」と言われそうな絵が約500年前のローマで描かれていることが、とても不思議に感じられる。広告などなかった時代に、広告の中で描かれそうな軽さが、教皇ユリウス2世のために描かれた絵の中にあるのだ。

このような絵を見ると、私は、もしタイムスリップして500年前のローマへ行ったとしても、現代人と同じように人々と一般的な意味での「深い」話を共有できるのではないか、という感覚を得る。逆にいえば、他の絵からは、とても話が通じるとは思えないという感覚を得てしまうということだ。

柄谷行人は『日本近代文学の起源』の中で、

近代以前の文学を読むとき、われわれはそこに「深さ」が欠けているように感じる。(p.173)

と書いている。それは絵画における遠近法(透視図法)が確立されることによって、われわれはそこに入って行けるように感じる(p.175)ことと同様であり、つまり文学も絵画もそこに深さを感じるか否かは、遠近法的な配置の問題だ、と述べている。

透視図法は、まさにルネッサンス期に確立された図法であり、ここから<われわれがそこに入って行けるように感じる>絵画が西欧において描かれ始めるのだが、透視図法によって描かれる等質的な空間は、一気に厳格なキリスト教の中に笑いを共存させるまでに世界を変えたのだろうか?

グリッドフレームのHPへ ← グリッドフレームのHPはこちらです