gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

映画 127時間

ユタ州でクライミングを愉しむアーロンは、大地の割れ目で、落下してきた岩に右手を挟まれて、身動きできなくなってしまう。

それからの127時間が描かれた映画ではあるが、そこに至るまでの10数時間のエネルギッシュな彼があまりにも輝いているために、「この人は超人だ」という前提で127時間が始まることになる。

そもそも127時間の始まりに、彼は痛みに顔をゆがめていない。手は潰れているのにもかかわらず、である。彼は、持物をチェックし、そのすべてで何ができるかを冷静に考える。

私が自分の今までの人生を振り返って、本当に「生きている」という感触に触れたのは、このように今自分が持っているものすべてを使って、切なる目的に到達するために考え、そして実行しているときである。

夢のような幸運は訪れない。そして、そのようなものを望みもしない。そんなときである。

彼は次の手順で行動を起こしていく。まずは、岩を全身を使って動かすことが可能か?次に岩を削ることは可能か?次に岩を自分の体重によって吊り上げることは可能か?同時に、できるだけ長く生きるために、持っている食べ物や水を飲む時間と量を決める。また、夜の寒さに対処する方法を考える。あらゆる判断がおそらくはベストに近いかたちでなされ、彼はやがてくる死を覚悟しながらも、できる限り生き延びていく。

すべてをやり終えて、効果がないことを確認した後、ついに腕を切り落とす決断をする。映画館で失神者が続出したといわれるこのシーンはリアルで、直視するのはやはりつらい。

しかし、彼は大丈夫だ。彼にとっては、岩に解き放たれる喜びの方が何倍も大きいことが分かっているからである。やはり、彼は超人である。


この映画の主題は、自分でなんでもできて孤独を愛する彼に対して、最後に「I need your help!」と叫ばせることにあったかもしれない。しかし、それも他の登山客が訪れる場所まで自力で下りてきて、他人の力を借りられる状況をつくった故である。

この経験で彼が変わったとは私には思えないし、そのことは重要ではない。彼は超人であり続けるのが一番よい。


映画が実話であるかどうかが、映画の価値に影響するかどうかは疑問だ。だが、この人物は実在するそうだ。そのことに驚く必要はないだろう。

登山家や冒険家には、このような超人が多いのではないか、と思う。体力的にはとても及ばないが、せめて私も超人の精神を持ちたい。

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