年が明けたので熊本に住む母に電話した。
私は妻の実家である函館にいて、白い雪が平らに続く大地と遠く広がる曇り空を眺めていた。
母は18年前のこの時期に父と訪れた私の留学先バッファローの風景を思い浮かべて、「そっちはバッファローみたいでしょ」という。
母が目を細めて話している様子が伝わる。
確かにいま目にしている風景はバッファローそのものである。
郊外のショッピングセンターへスタッドレスタイヤを履いた車で向かう休日。生活のスタイルも含めて、アメリカ北部の郊外都市そっくりだ。
あの町から遠くはなれて、私は生きている。しかし、あの町の貧しさとそれとは裏腹の豊かさが、未来の社会のイメージとして私の中に棲みついていることに気づく。
そのイメージは、私にバラ色の未来を抱かせてはくれないが、だからといって、決して希望を奪い取りもしない。
2012年。私たちには、遠くはなれて、初めて見えてくるものがある。静かに目を凝らすことによって、大事なものが見えてくる。