gridframe001の日記

とりかえのきかない世界を生きるために

場違い

「汚しうる美」のコンセプトをアメリカから日本に持ち帰って、それについて以前の仕事場で人に語るとき、ひどく場違いな感じに悩まされた。私は完全に「変な人」だったし、そうなる以外に語ることなどできなかった。

「場違い」は、自分の主張と周囲が求めているものが重なり合わないときに生じる。

今だって、いわゆる「きれいな」空間しか求めていない人に対して、弊社の創造的につくることへのこだわりを話すのは場違いである。

私たちには「きれいな」空間を成立させることが設計の主要目的になるなんてありえない。

使いなれた材料でスタンダードな納まりばかりを繰り返せば、それは成立するだろう。それによって、クレームを避けられるだろう。だが、そんなものは「つくる」と呼ぶに値しない。

未来に向かって立つ。「つくる」と呼ぶに値するのはそのような姿勢だ。それは必ずしも「きれいな」空間には帰結しない。しかし、エネルギーの高い空間になる。

空間を、減点法のみで評価することはできない。減点法に必要なのはチェックリストであり、人間の感性を必要としない。感性でつくられたものに対する評価は、感性によってしかできないだろう。

昨日久しぶりに浅田真央GPシリーズで優勝したフィギュアスケートの採点方法は、技術点・構成点・ディダクション(減点)の3要素で成り立っている。

内容を調べると結構細かいが、スポーツの採点だから公正さに欠ける可能性がある「感性」はあからさまには入っていない。(1995年までは芸術点なるものが存在した)だが、ディダクションは、採点の付加的な位置に過ぎない。私たちがつくる空間も、このように評価されるべきだと考えるのはおかしいことだろうか?

なぜなら結局のところ、感性の点数の高い店舗空間は人を呼ぶからだ。それこそ、空間のメインの機能だと信じている。

私たちだけでなく、空間を「つくる」全ての人たちのエネルギーが空回りして、場違いな感じに陥らないように、空間にとって大切なのは感性だ、ということを訴え続けたい。

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