個人を「かけがえのない存在」たらしめるものはなにか。
それを漠然と「感性」と呼んできた。
つまり、感性のみが、厳密に各個人に別々に属するものではないか、と感じたのだ。
(そう、このように感じた、とすれば、それは私の感性だ。)
いったい、感性とは何だろう?
グリッドフレームのスタッフを募集するとき、1.感性 2.情熱 3.技術 を持っている人、を条件としている。感性が、最も優先順位が高い。
なぜなら、情熱や技術を持っていても、磨かれた感性がなければ、機械の中のとりかえが可能な部品のようなものだからである。
私は自分をそのような存在として見なしたくないし、同様に他人をそのような存在として見たくない。
これがグリッドフレームを興した唯一の根源的な理由だ。
だから、グリッドフレームがつくる空間も、そこに参加する人たちの感性が活かされていなければ意味がない。
感性とは何だろう?
(つづく)