いろんな会社の人に出会うと、会社によっていい人たちばかりに思えたり、この人たちはどうかなあ〜と思ったり、割とはっきり分かれる。
性格は、個人に属するよりも先に、組織に属するものなのかもしれない。
何人か集まれば、なんとなく空気ができあがる。こんなこと言うとばかにされるかな、とか、お互いに空気を読んでいるうちに、みんなで同じ空気をなんとなくキープすることになる。
たまたま良い空気の組織に入れば、良い人になれるし、良くない空気の組織に入れば、良くない人になってしまう。それで、会社によって、こうも個人の性格まで分かれているように見えてしまうのだろう。
個人が、既存の空気に抵抗するのは難しい。特に、和を以て尊しとなす国民には。KYであれ、という人は、きっと「既存の空気に飲まれるな」という意味で言っている。別の言い方をすれば、「自分を持て」ということだ。
就活中の人は、まず「自分を持っている」ことを自問するべきだ。イエスであれば、どの組織に入っても自分の道を進めるだろう。ノーであれば、組織の業績より、既存の空気がどうであるかを知るべきである。この人たちはどうかなあ〜という人たちの仲間入りをするために生まれてきた人はいない。